スポット
見上神社
- エリア
- 郷ノ浦港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社
- 所在
- 長崎県壱岐市郷ノ浦町
- 駐車場
- あり(岳の辻展望台駐車場)
式内社 例祭月: 10月
この社について
岳ノ辻にある小さな社で、彦火々出見尊を祭る。延喜式神名帳の石田郡「見上神社」に当てられ、二十四座の一つ。名を改める前は三上大明神と呼ばれ、式外社とされていたが、延宝四年(1676 年)に木鏡の御正体と石の祠を献じて式内の見上神社と査定された。『壱岐図誌』は「大昔は四季に大祭があったが、中世から一、二季の祈年祭が絶え、九月一日に祠官が神楽を奏するだけになった」と記す。例祭はいま十月一日で、神楽を奉納する。境内は二七坪。
江戸の記録では
『壱岐名勝図誌』は、この社について書ける範囲をはっきり区切っている。社は三迂にあるが、社地は初山に属する。祭神は彦火々出見尊。石の祠は二尺八寸四方の瓦葺で、上屋と石築地が付く。そこまでを書いたうえで『神社考』を引く ―― 初山村の岳辻に「みのへ」という神があった、しかし承応年間の旧記には「見上神社 湯岳村」と記してある、そこで見上神社として石の社と木鏡を納め彦火々出見尊としたが、その実虚の是非は知らない、と。幕末の撰者はここに自分の推測を一つだけ添えた。「みのへ」は「三上」の意で、村の上ということだろう、というものである。二十四座のどれに当たるかを決めた延宝の査定が、実際にはこういう確かめようのなさの上に載っていたことが、この短い項から読める。
大正の記録では
岳ノ辻が古くから警備の地であったことに、大正の記録は目を向けている。武の嶺の地は標高が高いので烽火を設ける地であり、そこに社を勧請したのだろうがその由緒は伝わらない、と編者は書く。延宝当時の国主松浦氏の吏僚の仕置というものには、見上神社を津甫村の宗廟と定めるとあり、毎年小神楽があって祭米三斗を出したと社記が録している。明治十八年(1885 年)にはじめて拝殿を建て、大正九年(1920 年)に石鳥居を設けるなど、年を追って境域の設備を整えつつあるという。編者はさらに、式内の見上神社は観上神社の誤記か略書であって「とかみ神社」と訓むべきもので、その実は湯岳村の妙見宮であろうとし、この社を見上神社とするのは古来の みのへ 大明神を三上と見上の音韻が近いとして冠しただけにすぎない、と述べている。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 22 座 見上神社筆頭