このページの更新 9/6 12:05
腰かけてはいけない石
『壱岐名勝図誌』を村ごとに読んでいくと、石の項が繰り返し出てきます。どれも短く、たいてい二つのことしか書いてありません。寸法と、里の人が石について言っていることです。
黒崎村の立永里、山田路の南側に不産女石(うまずめいし)がありました。東西五尺一寸三分、横三尺九寸、周囲一丈四尺五寸八分、厚さ一尺八分。婦人がこの石に腰を掛けると子を産まない、だからこの名がある、と里の人は言う、と書かれています。撰者はそのあとに一言だけ付けました。奇なることである、と。
志原村の初山路のかたわらには目洗石があります。東西二尺七寸、南北四尺二寸余、高さ三尺七寸五分の丸い石で、かたわらに穴があって、いつも水が溜まっていました。眼病の人がこの水で目を洗うとたちまち治る、と里の人は言います。ただし作法がありました。男は銭一文、女は針一本を持参して洗う、と。何を置いていくかが性別で分かれているところに、この習わしの古さが出ています。
立石村の巻には、三つの石が並んで出てきました。二塚の南西に双六窟という石室があり、『立石村私記』は入口から奥まで五間三尺と記していましたが、撰者は自分で測り直して、入り六間半、奥の間の高さ一丈三尺、横八尺五寸と書き改めています。いまの双六古墳にあたります。
窟の北七間、畑のかたわらにある双六石は、竪八尺七寸、横八尺、高さ二尺六寸。上が平らなので、里ではこれを「双六の十五石」と呼んでいました。そのさらに西、四間一尺六寸のところに鬼石があります。里の老人が伝えるには、むかし鬼がいて、投げたところ二つに折れた。いまもその折り口がある、と。
同じ「双六」という名について、本宮村の巻には別の由来が載っています。むかし対馬から双六を打ちに来る者があり、堂主が夜通し博奕をして、しまいには賭ける物がなくなり、磬も鏡も鉢まで賭けて取られてしまった。それでその地を双六と名づけた、と村人が言う、という話です。石室の名と地名の由来が、島の中で二通りに語られていたことになります。
これらの項に共通するのは、撰者が伝えを否定も肯定もせず、その代わり必ず寸法を書いていることです。子を産まなくなる石にも、目を洗う水の溜まる石にも、鬼が折った石にも、同じように物差しが当てられています。信じるかどうかは読む人に任せ、そこに何がどれだけの大きさであるかだけは、自分の目で確かめて残す。この本の石の項は、どれもその形をしています。
原文から
里氏がいう。婦人がこの石に腰を掛ければ子を産まない。ゆえに名とするとぞ。奇なることである。
里民いう、眼病の者がこの水もて目を洗えば忽ち愈ゆるとぞ。男は銭一文、女は針一本を持参して あらうといえり。