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壱岐の史料から
幕末の嘉永三年(1850年)、平戸藩の前の藩主が島の地誌を作れと命じ、湯岳観上宮の神主 後藤正足が十一年かけて二十五巻を仕上げました。『壱岐名勝図誌』です。同じ人がのちに『壱岐神社誌』も書いています。ここに置いたのは、その二書を当方が現代語に起こし、読み物にしたものです。書かれているのは幕末までの島であって、いまの姿ではありません。
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幕末の嘉永三年(1850年)、平戸藩の前の藩主が島の地誌を作れと命じ、湯岳観上宮の神主 後藤正足が十一年かけて二十五巻を仕上げました。『壱岐名勝図誌』です。同じ人がのちに『壱岐神社誌』も書いています。ここに置いたのは、その二書を当方が現代語に起こし、読み物にしたものです。書かれているのは幕末までの島であって、いまの姿ではありません。