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スポット

山浦神社⁠‍​​​‌​​‌​​‌‌​‌​​​

カテゴリ
神社
所在
長崎県壱岐市

⁠‍​​​‌​​‌​​‌‌​‌​​​情報なし(要確認)

地図: 地理院タイル(国土地理院)。
出典: Google マップ / 当方確認 8/18 22:47

この社について

庄触の丘にある社で、もとは山浦三所大権現といった。熊野の三神、伊弉冊尊と事解男命と速玉男命を祭る。丘一帯には白石城、立石城と呼ばれる城跡が残り、国司の館がここにあったと伝わる。そのため社殿の造営費は島全体で負担し、寛永五年(1628 年)の建て替えでは二十三か村と七か浦から米三十俵を集めた。全島の負担で造営した社は、ほかに天手長男神社、寄八幡神社、男岳神社の三社だけである。天正十一年(1583 年)再建の棟札には、当時の守護であった日高甲斐守の押し字が残る。社職を務めた松本藤左衛門吉家が文明十七年(1485 年)に亡くなっているので、創立はそれ以前にさかのぼる。明治七年に村社となり、明治九年に無格社となった。例祭は十月二十九日で、神幸式と流鏑馬を行う。境内は四四四坪。

出典: 『壱岐国神社誌』(1941 年)。当方が読んで書き起こしました

大正の記録では

大正の記録は、社頭の丘一帯に残る城址の主を推している。白石城・立石城などの呼び名が残るのは松浦党の一族である呼子氏の居館であろうとし、永禄年間には牧山氏がここに籠居したと伝えるという。そうであればこの社はその城主の鎮守であって、創建は遠い古代にさかのぼることになる、と編者は書く。社記が挙げる相殿の神は数が多く、北山権現・疱瘡神・八十枉津日命・大綾津日神・神直日神・大直日神・海童三神・住吉三神・磐土命・底土命・赤土命・大地海原諸神などが並ぶ。『神名品書』には「殿川に山浦権現」と見える。編者は疱瘡神を素盞嗚尊のことらしいと見て、『湯岳興原鎮座疱瘡神記』という別の一書が疱瘡神の祭神として二十四座を挙げているのを、参照に値するとして写している。

大正十五年(1926 年)に刊行された記録です。いまも同じものがあるとは限りません。

出典: 『壱岐神社誌』(1926 年) 第二編 第一節 武生水村神社誌。当方が現代語に起こしました

祭神から社を引く: 伊弉冊尊を祭る社(16 社)

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