スポット
池田八幡神社
- エリア
- 印通寺港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社、飲食
- 所在
- 長崎県壱岐市石田町
例祭月: 11月
この社について
池田の東触にある村社で、もとは大谷八幡宮と呼ばれた。応神天皇を祭る。創立の年月ははっきりしないが、寛正六年(1465 年)より前にすでに勧請されていたことは社記から分かる。殿内の鰐口には「原田荘八幡宮に納め奉る。願主・道満。寛正六年三月二十日」の銘がある。『吉野文書』は、万治二年(1659 年)に石田・池田の両村の宗社である老松天神の祠官・後藤民部が、畑のなかの神は名高いと語り伝えられていること、そこに上田五反の祭田があったという言い伝えを人に話し、放っておくべきではないと説いたと伝える。そこで人々を誘ってその場所を掘り起こしたところ、御神体らしい石が出た。北へ百間ほどの場所に社殿を築いて安置し、万治三年(1660 年)十一月に籤を引いて八幡宮と称することにしたという。『神社帳』には「つばきの八幡宮。本社。昔からのもので勧請した年数はわからない。小社と拝殿があり、定例の祭は九月二十三日」とある。明治四年(1871 年)の氏子改めで氏子の区域を池田村とし、二百一戸と定められた。例祭は十一月二十一日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は二三一坪。
大正の記録では
拝殿の建て替えが、大正の記録に社司の名とともに並んでいる。延宝三年(1675 年)四月に社司の平田内部、享保十七年(1732 年)三月に神主の平田玄蕃。万治三年(1660 年)十一月の社殿建築の上棟文には社司として平田宗右衛門の名が見え、文政十一年(1828 年)改めの神社帳には祠官として平田美作が載る。社記は、この社が初めはいまの御殿から四十間ばかり南の畑中にあり、方二十間ばかりの茅原が残ると伝え、二十二日の宵祭に御飯と御酒と散米を供えて小神楽を奏し、翌日は御飯三膳と御酒一双と散米一盆を供えて奉幣と祝詞と神楽舞を勤めるとする。編者は、殿内にあったはずの鰐口が編者の時代には社頭に無いことに触れ、神仏混合を廃したときにほかへ流転したのではないかと惜しみ、寛保年間に『続風土記』を編んだ当時はこの社にあったことが証される、とも書いている。