スポット
海神社
- エリア
- 印通寺港周辺 壱岐空港周辺
- カテゴリ
- 神社、御朱印をいただける神社、飲食
- 所在
- 長崎県壱岐市石田町
式内社 例祭月: 11月
この社について
筒城の西触にある社で、延喜式神名帳の石田郡「海神社」に当てられる名神大社。壱岐国二十四座の一つで、豊玉彦命を祭る。創立の年代ははっきりしないが、神功皇后が西方を征伐したときに功があったのでこの島に祭られたものだろうと『壱岐国神社誌』は記す。『三代実録』には「貞観元年(859 年)正月二十二日、壱岐島の従五位下・海神に従五位上を授けた」とある。以後も神階を進められ、文治元年(1185 年)三月には平家追討の祈りによって一階を加えられた。大正十一年(1922 年)の春には、崇敬者が積み立てた維持費でまず石鳥居を建てた。例祭は十一月四日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は一一一六坪。
大正の記録では
いまの社地は本来の鎮座地ではない、というのが大正の記録の見立てである。延宝の査定のとき、八幡宮の蔭に覆われて社号が現れなかったために、古来 海神山と称する地にあった小祠をこれに擬し、新たに社号を興して石祠を建て木鏡を納めたのだという。編者はさらに、海神社は「あまの神社」と訓むべきで「かいの神社」と訓むべきではないから、社号と海神山という地名とのつながりは密接ではないはずだと述べる。ある時代に誤って漢音で称えたためにその地名が生じたのではないか、とも書くが、みずからこの説には興じないと断り、海神族との縁から考えれば海浜に面する白沙八幡神社の位置こそ本来の海神社にふさわしいと結んでいる。社の畑については祠官の平田淡路の名が記され、三年に一度ばかりの出来穂で大神楽か小神楽を奏したと『続風土記』にある。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 17 座 海神社筆頭