このページの更新 9/3 19:05
天手長男神社
由緒
『文徳実録』嘉祥三年(850)十月に、壱岐島の天手長男神を官社に列すとの詔が見える。壱岐国一宮とされる社である。祭神には天忍穂耳尊、手力雄命、鈿女命など諸説があり、『特選神名牒』はそのいずれも信じがたいとして、式の文のまま天手長男神と記すにとどめた。
いまのどの社か
一宮をどの社に当てるかは決着していない。延宝の査定は物部(もののべ)村の鉢形峰に石社と木鏡を据えて新たに勧請したが、神社考は「石田郡湯岳村の内『こう』の印鑰(いんやく)大明神こそ昔から当国の一宮と伝える」とし、式社沿革考は「一宮とも国府宮とも印鑰宮とも称し、これは興神社ではないか」とみる。興神社の「興」は国府の意で、近くには壱岐国府があり、境内には壱岐総社神社もある。