スポット
興神社
- カテゴリ
- 神社、交通・移動
- 所在
- 長崎県壱岐市
- 電話
- 090-1514-0575
式内社 例祭月: 4月
この社について
湯岳の興触にある社で、延喜式神名帳の石田郡「興神社」に当てられる。足仲彦尊と息長足姫尊をはじめ七柱を祭る。社記は、この地の国府村が島の一の宮であり、官の神庫の鍵と国府政所の印を納めた社だから印鑰(いんやく)大明神と呼ぶのだと伝える。『神社帳』にも「昔からこの国の一の宮と呼ばれてきた」とある。永禄九年(1566 年)と慶安二年(1649 年)の再建の棟札に藩主の在判が残り、延宝四年(1676 年)には藩主鎮信が木鏡と石額を奉納した。祭は島じゅうの神社のうちで最初に行われるので、俗に「一の祭」と呼ばれた。例祭は四月十三日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は九九七坪。
大正の記録では
大正の記録は、七社の祭りがどの順で巡ったかを『神社考』から引いている。八月十三日のこの社に始まり、十四日に勝本の聖母宮、十五日に本宮八幡宮、十六日に筒城八幡宮、二十三日に箱崎八幡宮、二十五日に国分天満宮と続いて、九月九日の住吉大明神で終わる。十七社の祭りのほうは九月十日の渡良村の社に始まり、二十九日の立石村の社で終わったという。天正二十年(1592 年)には、征鮮の軍から溢れた中国勢がこの社の神輿を馬駆け場へ運び出して焼き、寒さをしのいだと伝える。そのため中絶した神幸を、享保八年(1723 年)に祠官の吉野出雲が再興し、女池崎へ渡御を復した。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 13 座 天手長男神社論社
- 第 19 座 與神社論社