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與神社
由緒
延喜式は「與神社」に作る。『太宰管内志』は「與は興を誤るか今は興に造る、さらば於支(おき)とよむべし」といい、橘三喜も字体の似ているのを誤写とみて、湯岳村の興神社を式内の與神社に当てた。壱岐神名記には「興村興神社祭足仲彦天皇、延宝已前ハ稱印鑰大明神又稱式內」とある。
いまのどの社か
式社沿革考はこれに従わない。「深江村の宗社である深江大明神は十七社の一で、延宝以前から式内と称したから、これが與神社ではないか」という。興神社を天手長男神社に当てる立場を採れば、與神社は深江神社ということになる。二つの比定は連動している。