スポット
深江神社
- エリア
- 印通寺港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社
- 所在
- 長崎県壱岐市芦辺町
例祭月: 11月
この社について
深江の山方にある村社で、もとは深江大明神と呼ばれた。伊弉冊尊と大国魂神を祭る。『神名記』は「名を改める以前は式内社とする」と記し、『神社帳』には「山方の深江大明神。本社には宝殿と拝殿があり、定例の祭は九月二十七日。神主は後藤安太夫」とある。大永四年(1524 年)の造営の棟札が残り、天正十一年(1583 年)九月の宝殿造営の棟札には、国主松浦隆信のために祈る文と、守護日高甲斐守の判、安国寺の住職が記した銘文が並ぶ。例祭は十一月十一日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は四〇八坪。
大正の記録では
国主の代参を僧が勤めていた、と大正の記録は書く。祠官の後藤伊豆が貞享三年(1686 年)正月と貞享四年(1687 年)三月に差し出した上申書によれば、この社は安国寺の領地の内にあったので、祭料の諸事はかの寺から仕出しし、代参も安国寺が勤めてきた。安国寺の領地が高百石になってからは産子中が祭米を差し上げ、寺は名代だけを勤めたという。城代として詰めていた西郷右京が国じゅうの社家を召し寄せて先例を尋ねたとき、安国寺が勤めていると答えたところ、それならば右京が勤めるにはおよばぬと言われ、そのまま続いた。明治元年(1868 年)の書上帳には、朝廷の趣意によって安国寺へ尋問したところ以後は社参を取りやめると答えた、とある。編者は、国主が国幣を供進する社へ僧侶を代参として遣わすのはたいそう奇妙な現象だが、これも時代を映すものの一つだと書いている。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 19 座 與神社筆頭