スポット
いま開いている可能性月讀神社
- エリア
- 芦辺港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社、御朱印をいただける神社、交通・移動
- 所在
- 長崎県壱岐市芦辺町
- 電話
- 0920-45-4145
- 営業時間
- 月 24時間 / 火 24時間 / 水 24時間 / 木 24時間 / 金 24時間 / 土 24時間 / 日 24時間
- 駐車場
- 駐車場あり トイレ 簡易トイレのみ
式内社 例祭月: 10月
曜日別の営業時間
| 月 | 24 時間 |
|---|---|
| 火 | 24 時間 |
| 水 | 24 時間 |
| 木 | 24 時間 |
| 金 | 24 時間 |
| 土 | 24 時間 |
| 日 | 24 時間 |
この社について
国分の東触にある社で、延喜式神名帳の壱岐郡「月読神社」に当てられ、名神大社とされた。中央に月夜見尊、左に月弓尊、右に月読尊を祭る。『壱岐国神社誌』が引く『三代実録』には、貞観元年(859 年)正月二十二日に従五位上を授けられたとある。鎮座の年数は分からないが、同じく引かれる『顕宗天皇紀』には、任那への使いに立った阿閉臣事代へ月神が乗り移り、民の地を献じよと告げたので、歌荒樔田を献じて壱岐県主の先祖である押見宿禰に祭祀を担わせたとある。これが祭りの始まりだろうと『壱岐国神社誌』は書く。そこが引く『懐中暦』は、舒明天皇二年(630 年)八月に伊吉公乙等を筑紫の怡土県へ遣わして神石を求め、その一片をこの社へ納めたと伝える。この石は神功皇后が月の神の教えにしたがって出産を延ばしたことにちなみ、月延石と名づけられた。延暦二十一年(802 年)にはじめて大社の列に加えられた。縁起は「国分郷の古木村にあり、拝殿のなかに石の御殿がある。延宝四年六月一日の建立。国片主神社の石鳥居から四、五町のところにある」と記す。延宝四年(1676 年)に松浦鎮信が石の祠と木鏡を寄進し、木鏡の銘には二十四座のうちの月読神社の御正体だとある。例祭は十月二十三日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は六四九坪。
江戸の記録では
幕末の記録は、この社が式内の月読神社にあたるかどうかを疑う説を、そのまま並べている。『神社考』にいわく ―― 国分郷の深淵の岸の上に「山神」と呼ぶ祠があり、古木が立つので古木という。延宝四年(1676 年)に「キヨツキ」という所の名を手がかりに式の月読社へ当てたけれども、この山神には社さえ無かった。月読社は名神大社である。いくら廃れてもここまでにはなるまい、社号は絶えて考えようがない、と。祭神を月弓・月夜見・月読の三尊とするのも、本来は天月神命であろうと疑っている。撰者はそのうえで『顕宗天皇紀』の月神の託宣や、神功皇后が腹を撫でたという月延石の話を引く。その石はのちに三つに割れ、一片は筑前の伊覩県に、一片は壱岐の月読の祠にあると『懐中暦』は書いている。
大正の記録では
大正の記録の編者は、この社が式内の月読神社の本来の鎮座地ではないと明言している。延宝四年(1676 年)より前は山之神と称する末社にすぎず、橘三喜の考証が行き届かなかったために名神大社の社号をこのような小さな祠に冠したのは遺憾に堪えない、その実は箱崎八幡宮であろう、というのである。そのうえで、もし社号によって式内社であるという事実を採るべきだとするなら、新たな意味で式の月読神社であることをこの社に認め、規模が整い崇敬が増すことを切望せずにいられない、と結んだ。『太宰管内志』が引く縁起には、拝殿が戌亥すなわち北西向きの茅葺きで、祠官は榊原主殿藤原正益、定めの祭は九月二十三日とある。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 5 座 月讀神社筆頭