スポット
水神社
- エリア
- 湯本湾周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社
- 所在
- 長崎県壱岐市勝本町
式内社 例祭月: 11月
この社について
立石の明神にある村社で、延喜式神名帳の壱岐郡「水神社」に当てられる。二十四座の一つで、速秋津日神を祭り、相殿に菅贈相国(菅原道真)を祭る。鎮座の年数ははっきりしないが、弘仁二年(811 年)冬十月一日の夜明けに日輪の神託を受けて鎮座したと伝え、布気(ふけ)の産土神である。仁寿元年(851 年)正月に正六位上の位を授けられ、以後たびたび神階を進められた。元慶元年(877 年)には大嘗会の供えのために中臣と忌部の両氏が派遣されて幣帛を分けられた。例祭は十一月二十五日で、神幸式と流鏑馬を行い神楽を奉納する。境内は九〇九坪。
大正の記録では
大正の記録は、この社に仕えた布気吉野氏がどこから分かれたかを系譜から引いている。吉野藤左衛門伊予守末冬の三男である左馬太夫末重は元和元年(1615 年)に新庄で生まれ、寛文三年(1663 年)十月二十二日に四十七歳で没した。寛永十六年(1639 年)、次兄で箱崎八幡宮の祠官であった吉野崎右衛門末定が没し、その子の掃部末益がまだ幼かったので後見となり、箱崎・瀬戸・唐田・布気の祠官を勤めた人である。末重が亡くなるときに遺児を託し、勝本の町人の家へ養子に出していた嫡子を迎えて家名を継がせた。これが布気吉野氏の始祖で、右近また靱負と称し、寛文三、四年ごろのことだという。編者は、この社が査定より前は布気天神と称して菅公を祭る式外社であり、社地の名を水の本と呼ぶことから水神社に当てられたのだと説く。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 1 座 水神社筆頭