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阿多彌神社(あたみ)

二十四座の第 2 座 / 壱岐郡 / 社格 小

由緒

社名は音を写した仮名書きで、『神社覈録』は祭神を詳らかでないとする。『特選神名牒』は大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を挙げ、いまの社もこの二神を祀る。『太宰管内志』は、この社の位が重ねて進められたことを引く。朱雀天皇の天慶三年(940 年)、崇徳天皇の永治元年(1141 年)七月、高倉天皇の治承四年(1180 年)冬十二月、後鳥羽天皇の元暦二年(1185 年)春三月に、そのつど二階を増した、というものである。平安の半ばから鎌倉のはじめにかけて、島の小社が四度にわたって位を上げられた記録になる。同書はあわせて、石祠が酉戌(西北西)に向いて建つこと、祠官を神坂式部藤原尚定といったことも書きとめている。

いまのどの社か

二十四座のなかでは珍しく、『神社覈録』も『特選神名牒』も立石(たていし)村に当てて食い違わない。ただし『神社覈録』は、里の人がこの社を天神と呼んでいたと記す。論社として、同じ立石の熊野神社を挙げる本もある。二十四座の比定が揺れるのは、延宝の査定が地名の音を手がかりに社を当て直したからで、角上を都上に、大左右を左右大に、津岳を津神社に結び付けた比定は、いずれも音の類似による。神社考はそれを一つずつ吟味して誤りだと論じ、式社沿革考はさらに旧記を突き合わせて社の遷りを復元しようとした。この座にその批判が向かわないのは、立石に社があること自体を両書とも疑わなかったからで、当てる村をめぐる論がそもそも立っていない。ただし争いの無いことは、古さの証しにはならない。祭神については足並みが揃わず、『神社覈録』は詳らかでないとしたまま筆を置いている。

出典: 太宰管内志(コマ 397) / 特選神名牒(コマ 450) / 神社覈録 (国立国会図書館デジタルコレクション。いずれもインターネット公開の資料です)

いまの社

立場は三書の論によるもので、当方はどれが正しいかを決めていません。所在と例祭日、地図は各社のページにあります。

出典: 各社のページ(壱岐観光ナビほか)/当方確認 9/10 02:05

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