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スポット

白山神社⁠‍​‌‌‌‌​​​‌‌‌​​​​‌

カテゴリ
神社
所在
長崎県壱岐市

⁠‍​‌‌‌‌​​​‌‌‌​​​​‌情報なし(要確認)

地図: 地理院タイル(国土地理院)。
出典: Google マップ / 当方確認 8/18 22:47

この社について

筒城の仲触にある社で、もとは白山権現と呼ばれた。伊弉諾尊と伊弉冊尊と天忍穂耳尊を祭る。縁起によれば、後伏見天皇の皇子で彦山の座主であった助有法親王が、嘉暦三年(1328 年)の初冬に夢のお告げを受け、西の海に浮かぶ島に金輪の三本足のようにそびえる三つの山、すなわち筒城の白山と鯨伏の伊賀岳と池田の高山を見つけさせ、彦山の神をここへ移したのだという。修験の僧が派遣されて祭り、明治の神仏分離で権現は神社に改められた。例祭は九月十九日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は二八三六坪と広い。

出典: 『壱岐国神社誌』(1941 年)/ 『長崎県壱岐石田郡村要覧』(1894 年)。当方が読んで書き起こしました

大正の記録では

大正の記録の編者は、この社の縁起を写したうえで、それが両部習合の神道者流の説であってわが唯一宗源の説ではないと断っている。縁起は三つの山へ修験僧を配ったことを書き、筒城山の宮司を勢住、高山を宗勝、伊賀岳を泉玉として、三山に宝鼎の三足のごとく三人の行者を置いたと記す。編者はそのうえで、この社が緇徒の手によって最初の勧請を受け、本地を観音・釈迦・弥陀とし、その垂迹を諾冊二尊と忍穂耳尊とした習合の説が巧みであったと評する。彦山の名を藉りて弘法に努めたので、後世まで修験道の山伏として全島に勢力を扶植した、というのである。彦山から使僧が来るときはこれを御山の坊と呼んで各村が歓待し、その宿泊には村内の富豪のような家を選んだので、地方の労苦を招くものがあったとも書き添えている。神社帳には貞享二年(1685 年)の再建が見える。

大正十五年(1926 年)に刊行された記録です。いまも同じものがあるとは限りません。

出典: 『壱岐神社誌』(1926 年) 第二編 第十節 石田村神社誌。当方が現代語に起こしました

祭神から社を引く: 伊弉冊尊を祭る社(16 社) / 天忍穂耳尊を祭る社(8 社) / 伊弉諾尊を祭る社(7 社)

この場所が出てくる読み物

出典: 幕末から大正の地誌(『壱岐名勝図誌』ほか)。当方が現代語に起こしました

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