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スポット

國片主神社⁠‍​​‌‌​​‌‌‌‌‌‌‌​​‌

エリア
芦辺港周辺
カテゴリ
歴史・文化、神社、御朱印をいただける神社、駐車場、交通・移動
所在
長崎県壱岐市芦辺町
電話
0920-45-4145
駐車場
あり

式内社 例祭月: 9月

地図: 地理院タイル(国土地理院)。
情報: Google(所在)/ 出典: 壱岐観光ナビ / 当方確認 9/8 12:04

この社について

国分の東触にある村社で、延喜式神名帳の壱岐郡「国片主神社」に当てられる。二十四座の一つで、壱岐七社にも数えられた。少彦名命と菅贈相国(菅原道真)を祭る。延宝の詮議より前は天満宮、国分天神と呼ばれ、『神社帳』にも「昔は天満天神と呼んだ」とある。社名の由来を、大己貴神と少彦名神が国土を経営した働きがちょうど相半ばだったことに求める説が社記に見える。仁寿元年(851 年)に正六位上の位を授けられた。永禄五年(1562 年)の宝殿再建の棟札には「天満宮」とあり、波多藤童丸の花押が残る。例祭は十一月二十五日で、神幸式と流鏑馬と大神楽を行う。境内は一〇九一坪。

出典: 『壱岐国神社誌』(1941 年)/ 『長崎県壱岐石田郡村要覧』(1894 年)。当方が読んで書き起こしました

江戸の記録では

『壱岐名勝図誌』は、この社の棟札を古い順に並べたうえで、はっきりと書いている。古来の棟札にはみな「天満宮」とだけあって、「国片主」の社号は無い、と。永禄五年(1562 年)の宝殿再建の棟札には「天満宮」とあり波多藤童丸の花押が入る。慶安四年(1651 年)と承応三年(1654 年)と寛文三年(1663 年)もそれぞれ「天満宮」「天満天神」である。「国片主神社」と書かれたのは宝永六年(1709 年)の再建がはじめてで、延宝四年の改めから三十四年あとにあたる、と撰者は注を付けた。『神社考』の説も引く。長嶺村の森に社殿のない「国片大明神」があり、こちらこそ式の国片主神社ではないか、というものである。境内には七角石と、株の太さ一丈二尺二寸の影向杉、それに朽ちて植え替えた飛梅があった。

幕末までに書かれた記述です。いまも同じものがあるとは限りません。

出典: 『壱岐名勝図誌』(1861 年) 巻之五 壱岐郡国分村之部。当方が現代語に起こしました

大正の記録では

大正の記録は、この社にあった大般若経の奥書を写している。文安四年(1447 年)六月下旬、修沖という僧が願主となって全文の一巻を施入し、十六善神の像一体を移し奉った。巻の外題を書き終えたのは嘉禄三年(1227 年)三月二十六日で、父の一周忌の落慶のためだという。裏書には、丹波国船井郡山内荘の御経であって他所で買い取ってはならない、と断ってあり、文永十年(1273 年)十月二十六日の日付が入る。元軍が襲う前の年にあたる。経を納めた辛櫃の銘は慶安三年(1650 年)である。村の僧が正月十一日から十五日まで参籠して転読する慣わしは、明治元年に止んだ。

大正十五年(1926 年)に刊行された記録です。いまも同じものがあるとは限りません。

出典: 『壱岐神社誌』(1926 年) 第二編 第八節 那賀村神社誌。当方が現代語に起こしました

二十四座との対応

延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。

出典: 太宰管内志 / 特選神名牒 / 神社覈録 / 太宰管内志 / 特選神名牒 (国立国会図書館デジタルコレクション)

祭神から社を引く: 菅原道真を祭る社(10 社) / 少彦名命を祭る社(4 社)

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