スポット
箱崎八幡神社
- エリア
- 芦辺港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社、御朱印をいただける神社
- 所在
- 長崎県壱岐市芦辺町
- 電話
- 090-5400-2581
- 駐車場
- あり Tweet シェア
例祭月: 9月
江戸の記録では
幕末の記録は、この社がもとの地へ帰った日のことを長く書き残している。社ははじめ箱崎の下里にあったが、箱崎と新城が争って新城が攻め落とされたのち、その鎮めとして新城の宮地へ遷されていた。元禄十一年(1698 年)の秋、箱崎と瀬戸の氏子が集まって還幸を願い、鬮を引いて神慮を伺ったところ還るべしと出たので藩へ訴え、同十三年(1700 年)の正月に許しが下りた。四月に造営を始めて七月に成り、八月三日の早朝に新城を発って正午に新殿へ移した。道には前日から忌竹を立てて大注連を曳き、当日は莚を敷いて布を延べ、左右に幕を引いたという。行列は警蹕の鉄炮にはじまり、四神の幡・獅子・狛犬・矢大臣と続き、島じゅうの神主が笛や太鼓や宣命の役を分けあって供奉した。撰者はこの社を「古今の七社にして式社と言い伝える。されども延宝の後、式外となれり」と書く。神田は乱世に奪われて永禄のころに五反、のちに二反まで減っていた。
大正の記録では
大正の記録は、この社を箱崎村の村社として「八幡神社」の名で挙げ、旧称を海裏宮、または海裏八幡宮と記している。社記によれば、桓武天皇の延暦六年(787 年)に詔命によって鎮座し、初めは男岳山に、次いで上里の東屋敷、下里の辻、新庄村の宮地山と移り、元禄十三年(1700 年)にいまの社地である根抵山へ鎮座したという。棟札のうち最も古いものは正慶元年(1332 年)八月五日のもので、「箱崎八幡宮・月読宮」と並べて記し、大宰少弐兼筑後守 藤原景資の名が見える。神社明細帳に載る九神のうち高産霊尊・天月神命・天比登都柱神の三神は神秘とされ、編者の後藤正足は、天月神命は月読神社に、高産霊尊は高御祖神社に当たるものとして整理している。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 5 座 月讀神社論社
- 第 7 座 高御祖神社論社