スポット
本宮八幡神社
- エリア
- 勝本港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社、御朱印をいただける神社
- 所在
- 長崎県壱岐市勝本町
- 電話
- 0920-43-0766
- 駐車場
- あり
例祭月: 10月
この社について
本宮にある村社で、もとは八幡宮(本宮八幡宮)と呼ばれた。東の殿に聖母大神、中央の殿に住吉大神、西の殿に八幡大神を祭る。社の縁起は、この社をもと風早郷本宮村の兵主神社とし、底筒男・中筒男・表筒男の三神を祭ったが、中世に神功皇后と応神天皇を相殿に加えて八幡宮と称するようになったと記す。『神名記』は「本宮八幡宮、三所、大社。名を改める以前は式内社」とし、桓武天皇の延暦年間に一国一か所の八幡宮を建てたのがこれであると伝える。延宝四年(1676 年)の式内社改めで兵主神社の名が深江村の川北にある日吉山王社へ移されたが、『神社書上』も『神社考』も、兵主神社の古い記録はすべて本宮村を指すと説いて、この裁定に異を唱えた。万治元年(1658 年)十二月には、飢饉のために本宮の木を伐らせたところ、内殿の扉が割れて神の光が東へ飛び去り、社家十六人が三昼夜の神楽を奏して迎え戻したという話が伝わる。例祭は十月十五日で、神幸式と船競と流鏑馬を行う。社領は二石、境内は二一二八坪。
大正の記録では
大正の記録は、この社に伝わる神石をめぐる話を集めている。『万葉集』や『筑前国風土記』は筑前の怡土郡深江の子負原に鎮懐石があると記すが、『続風土記』の著者である吉野秀政はみずから山城の月読宮と筑前の子負原を訪ね、いずれにも無く、この社にだけあると書いた。寛延二年(1749 年)六月二十日には国主の松浦誠信が参拝するとの達しが城代から祠官へ届き、宝殿の内々殿の神前に折敷を置き、料紙二枚を重ね敷いて神石を載せ、観覧に供している。同じときに広庭の碇石二個も点検に供した。社の森には蝮が多いが人を咬まず、注連の内の水田には蛭が多いが人の血を吸わない、とも伝えられていた。
二十四座との対応
延喜式神名帳(927 年)に載る、この島の二十四座のうち、この社は次の座に挙げられています。千年前の目録がいまのどの社にあたるかは、江戸から明治にかけての考証書でも分かれています。
- 第 4 座 兵主神社論社