スポット
寄八幡神社
- エリア
- 芦辺港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社、御朱印をいただける神社
- 所在
- 長崎県壱岐市芦辺町
- 電話
- 0920-45-1263
例祭月: 10月
この社について
諸吉の本村触にある社で、応神天皇と神功皇后と仲哀天皇を祭る。『神社帳』には「たなえの寄八幡宮。末社。文中二年(1373 年)に勧請」とある。『壱岐続風土記』は、文中二年八月にこの社の御霊形が五島から流れ寄ってきたと伝え、浦の人の話として「綿浦の海士に神が乗り移り、『われは八幡である。この国で疱瘡を忌んで流し奉ったものが漂着したのだ』と告げた」という話を載せる。社号の「寄」はこの由来による。明暦三年(1657 年)に高御祖神社の隠居祠官である後藤諸助が八幡へ移り、新田を開いて社の附属としたいと願い出て、のちに高二石の判状が交付された。昭和五年(1930 年)に村社に列せられた。例祭は九月十七日で、神幸式を行い大神楽を奉納する。境内は六八九坪。
江戸の記録では
社名の由来になった霊石が、幕末には二本になっていた。文中二年(1373 年)に海上から寄り来たという石で、もとは一本だったが、元禄十三年(1700 年)三月二十六日の地震で二つに折れた。そこで左右に分けて宝殿に納めた、と『壱岐名勝図誌』は書く。この神は蝮を嫌うので当所に蝮が生じず、よそから草に紛れて入ってきてもたちまち死ぬ。だから島の人は社地の砂を持ち帰って屋敷に撒いた、という言い伝えも載る。神輿の神幸が始まったのは明和七年(1770 年)である。撰者はここで一歩引いた考証を置いた。この神石を八幡大神と崇めるのは後から付けた名であろう、もとが何の神かは知りようがない、常陸の二つの磯崎の社の故事に思い合わせると大己貴か少彦名ではないか、なお考えるべきだ、と。
大正の記録では
大正の記録の編者は、この社に伝わる漂着の話を一歩引いて見ている。文中二年に神体が流れ寄り「我は八幡である。この国において疱瘡の神となって庶民を守ろう」と神憑りの告げがあったという筋は、長者原崎の一角に古来鎮座していた何かの社の再興の話か、あるいは疱瘡の神として崇敬を集めるために構想された民間の物語とも考えられなくはない、というのである。そのうえで、いったん加護の神として評判が高まると内外・上下の信仰を集め、時には国主が祈願を行い、とりわけ松浦篤信が世子であったころには報賽のためにみずから参拝することもあったと書く。境内に松の木を植えて景色に趣を添えたことにも触れ、こうした興隆がひいては八幡浦の発展を招いたと結んでいる。