スポット
石田天満神社
- エリア
- 印通寺港周辺
- カテゴリ
- 歴史・文化、神社
- 所在
- 長崎県壱岐市石田町
例祭月: 10月
この社について
石田の西触にある村社で、もとは老松天神と呼ばれた。菅贈相国(菅原道真)と吉祥女と老松殿を祭り、大正五年(1916 年)に潮界神社を合祀して豊玉彦命と豊玉姫命を加えた。『神明記』には「老松天神。名を改める以前は式内社」とあり、『神社帳』には「西の老松天神。本社は昔からのもので、勧請した年数はわからない。宝殿と拝殿があり、神主は平田内府」とある。社記は、この神ははじめ西間の辻におられ、その場所をいま古天神と呼ぶと伝え、最初は志自岐原に鎮座して杓子松へ移り、続いて古天神の地へ移られたともいう。摂社の津宮大明神は定例の祭が九月九日で、寛文元年(1661 年)と元文四年(1739 年)に再建された。天神が御衣を干された場所を衣ヶ浦といい、松浦鎮信が鷹狩りをしたときに君ヶ浦と改められた。寛文八年(1668 年)九月十八日、国主の名代である樋口源五衛門がこの社へ社参し、そのまま志自岐大明神へ社参した。石田村の代参はこれに始まると社記は伝える。棟札で古いものは寛永十六年(1639 年)の宝殿造営のものである。明治三十五年(1902 年)に菅公一千年大祭の記念として正殿と拝殿を改築した。例祭は十月三十日で、神幸と神楽と流鏑馬を行い、角力を奉納する。境内は一〇三八坪。
大正の記録では
神輿をめぐる争いの跡を、大正の記録は『続風土記』から引いている。この社には昔 神輿が七台あり、大行事・小行事の役があったが、ある年、輿丁が前後を争って荒川清右衛門以下の者が討ち死にした。神輿に血がかかったので「ならの本」の地に埋め、編者の時代にも東西五間・南北一間四尺、周囲十一間、高さ二尺七寸の土坑が残って、大行事の北五十八間にあるこれを地御輿坑と呼んだ。清右衛門は巫の祖であるという。正平二十四年(1369 年)七月二十八日付の神領図には、この社の領として西間郷九十四町を挙げ、河北郷・志原郷・池田村・田原村・深江村・西間村・筒城村・印通寺浦が並ぶ。編者は、これほどの領田を持つ社が小規模であったはずはないとして、この社の前身を式内の津神社に求めている。
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