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島の寺

この島の神社は、これまで何枚もの面で扱ってきました。けれども寺は、村ごとの巻に散らばったままでした。ここに置いたのは、幕末の地誌を人が読み取って並べ直した 143 件です。寺号を名のるものが 69 件、残りは院と庵と坊で、24 の村にまたがります。

並んでいるのは資料がそう書いていることで、いまの姿ではありません。幕末に建っていた寺が、いまも同じ場所に同じ名で残っているとはかぎりません。種類の分け方も当方のものではなく、資料が付けた名の終わりの字をそのまま読んだものです。

欄はどれも、資料がその字を書いているときだけ埋めました。本尊の分かるものが 131 件、年の分かるものが 62 件です。多くの項は「慶長年中」「天文年中」としか書いておらず、そこを推し量って年を補うことはしていません。宗派も同じで、書かれていない寺に当方が宗派を当てることはしません。

地図には載せていません。資料が書いているのは「内寺地 竪十五間、横十間」という間尺だけで、そこから地点を割り出すには推し量りが要るからです。堂(観音堂・阿弥陀堂・地蔵堂など)はここに入れていません ―― 同じ名が同じ村にいくつも並び、区別する手がかりが資料に無いからです。

寺・院・庵・坊(143 件)

並びは資料の巻の順、同じ巻の中は種類と名の順です。名は資料の項の見出しをそのまま写しました。

寺の名種類本尊宗派・本寺ひらいた人そのほか・詳しく出典
諸吉村大淵山竜蔵禅寺延命地蔵菩薩曹洞州翁禅益明応元年(1492 年)の開基島の曹洞の本寺のひとつで、末寺の名が並ぶ。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村滝上山妙泉禅寺千手観音天台宗/安国寺の末資料に記載なし寛文十年(1670 年)の末山もとは天台の寺で、のちに本寺の末山となった。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村豊嶽山天徳禅寺地蔵菩薩大淵山の末天村珠晃和尚と伝える寛永十四年(1637 年)の遷化門に山号の横額を掛ける。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村志賀山見江院虚空蔵大淵山の末資料に記載なし資料に記載なし古い田の帳面には「見高院」と別の字で載る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村金剛山種徳禅院釈迦大淵山の末満翁種徳居士資料に記載なし本寺の末派で、開基と開山の名が帳面に残る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村陽向山東禅院如意輪観音資料に記載なし翁和尚と伝える大永五年(1525 年)の開基焼失ののち、僧が再興したと伝える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村横田山福寿庵地蔵菩薩大淵山の末東陽和尚と伝える資料に記載なし本寺の支配となってから久しいと帳面に載る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村竜松山清住庵十一面観音大淵山の末東陽和尚と伝える資料に記載なしもとは向江のあたりにあり、のちにいまの地へ移った。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村蘆庵千手観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしもとは香峯軒といい、隠居所であったという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
諸吉村伊賀滝山泉玉坊不動明王資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし彦山から遣わされた修験の三坊のひとつ。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部
川北村広厳山長泉禅寺地蔵大士安国寺の末無言納和尚と伝える資料に記載なし古い帳面は「長福寺」の名で載せる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部
川北村大母山大宝禅院聖観音安国寺の末資料に記載なし資料に記載なし寄せられた知行が、のちに減らされた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部
川北村海滝山正法院釈迦如来安国寺の末鉄玄和尚資料に記載なし本寺の末派として建てられた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部
中郷村金光明四天王大平護国山国分寺資料に記載なし臨済宗恵心僧都と伝える長徳三年(997 年)の開基もとは阿弥陀寺で、のちに寺号を替えた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之四 壱岐郡中郷村之部
国分村浦上山観音禅寺十一面観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし平重盛の建立と帳面が伝える。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部
国分村称名山阿弥陀寺釈迦天台宗恵心僧都長徳三年(997 年)の開基中世に壊れ、釈迦の名ばかりが残っていた。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部
国分村不老山円福禅寺蓮花院資料に記載なし禅宗/護国山の末資料に記載なし資料に記載なし護摩堂の跡と、旧地が畠になって残る。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部
国分村西原山天徳庵釈迦護国山の末資料に記載なし資料に記載なし島をめぐる順礼の札所のひとつ。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部
湯岳村丹生山瑞石寺聖観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之六 壱岐郡湯岳村之部
湯岳村宝仙山延命寺資料に記載なし老松山の末資料に記載なし資料に記載なし先年は寺領一町あり、いまは四斗である。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之六 壱岐郡湯岳村之部
湯岳村川上山興福禅寺大日如来資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之六 壱岐郡湯岳村之部
湯岳村松尾山地福寺資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之六 壱岐郡湯岳村之部
湯岳村湯激山定光禅寺釈迦如来資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし寺領は減らされて五石となった。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之六 壱岐郡湯岳村之部
深江村老松山安国海印禅寺資料に記載なし資料に記載なし源尊氏暦応二年(1339 年)の建立庭前の藤は諸国に並ぶものなしという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部
深江村宝持院聖観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部
深江村崇泉庵地蔵資料に記載なし岳丈和尚と伝える資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部
深江村忍松庵観音資料に記載なし透関和尚と伝える資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部
深江村福西庵地蔵菩薩資料に記載なし笑岩和尚資料に記載なし本寺の境内の西にある。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部
深江村通玄庵資料に記載なし資料に記載なし元住宗心と伝える資料に記載なし号を記した額が本寺の庫におさめられている。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部
筒城村涼雲山西福禅寺十一面観音安国寺の末悦堂和尚資料に記載なし寺領は三畝あまりと記す。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之八 石田郡筒城村之部
筒城村筒城山正悟禅寺資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之八 石田郡筒城村之部
筒城村連尾山月栖院資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしはじめは山根という所にあった。資料は絶えたと記します『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之八 石田郡筒城村之部
筒城村筒城山勢住坊不動明王資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之八 石田郡筒城村之部
石田村海岩山西安寺聖観音老松山の末南嶺和尚と伝える寛文三年(1663 年)の寂寿福院はこの寺の隠居であると風土記が記す。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村自積山印通寺地蔵願王薩埵資料に記載なし天峯祐和上資料に記載なし寺の号がそのまま浦の名になったと伝える。名の起こりは地名の由来へ『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村金剛山洞広禅寺阿弥陀如来資料に記載なし剛中和尚と伝える資料に記載なし松浦豊後守信実の菩提所であるという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村延命山寿福院地蔵菩薩資料に記載なし松隠和尚資料に記載なしもとは池田村にあり、のちにいまの地へ移した。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村松尾山寿慶院地蔵菩薩老松山の末林秀文和尚と伝える資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村求菩提山安叔院阿弥陀資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしもとは「上谷山」といい、近世に号を改めたという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村雲岳山竜峯院薬師如来資料に記載なし以益和尚と伝える天正十五年(1587 年)の寂『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
石田村連尾山大陽庵聖観音資料に記載なし月仙光和尚と伝える資料に記載なし韋駄天は弘法大師の作という。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部
池田村吉祥山高瑞寺薬師如来安国寺の末安国中林和尚と伝える資料に記載なし古い田帳は「幸随寺」と記す。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十 石田郡池田村之部
池田村椿樹山伝記庵地蔵菩薩資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしもとは田崎にあり、移って名を改めた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十 石田郡池田村之部
池田村神峯山正伝庵聖観音老松山の末星中徳座元天文九年(1540 年)の開山石志三九郎の霊牌をおさめる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十 石田郡池田村之部
池田村宗勝坊不動資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし彦山から来た修験の三僧のひとつの流れ。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十 石田郡池田村之部
池田村栄明坊不動資料に記載なし資料に記載なし文化二年(1805 年)の改号もとは「本如坊」といい、のちに号を改めた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十 石田郡池田村之部
志原村不動山円光寺地蔵如意山の末洞叟義公座元と伝える資料に記載なし本尊は木の地蔵であると帳面が記す。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部
志原村勝国山万松院阿弥陀資料に記載なし日高信助と伝える慶長十六年(1611 年)の開基本尊は網にかかったものだと古老が語る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部
志原村川田山源覚院資料に記載なし資料に記載なし香覚薫公座元と伝える資料に記載なし古い田帳にも名が載る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部
志原村大原山孝徳庵如意輪観音資料に記載なし桃渓枝公座元と伝える天文十九年(1550 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部
志原村大峯山玉種庵千手観音資料に記載なし慶祐隣公座元と伝える天正元年(1573 年)の開基もとは「有田山」といい、のちに山号を改めた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部
志原村瑞昌山福泉庵地蔵如意山の末雲甫竜和尚と伝える元和二年(1616 年)の開基もとは「鉄意山」といったという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部
初山村初島山南明寺地蔵大士如意山の末資料に記載なし資料に記載なし資料で食い違います開基について、資料が二とおりを載せる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十二 石田郡初山村之部
初山村横岳山永林寺釈迦如意山の末日高外記と伝える天正十年(1582 年)の開基西の観音堂が絶えたので、その仏を預かる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十二 石田郡初山村之部
初山村江淵山竜雲寺地蔵大士如意山の末元黄と伝える天正十六年(1588 年)の開基もとは「五江上山」といった。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十二 石田郡初山村之部
武生水村一心山専念寺阿弥陀浄土宗/法音寺の末山口宗心と伝える文禄四年(1595 年)の開基浄土の寺で、のちに再び開基があった。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村城首山宝積寺薬師資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村大上山安興寺千手観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし本尊はいま薬師堂に寄宿している。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村天満山鳳翔寺地蔵資料に記載なし資料に記載なし天文五年(1536 年)の開基ほかの寺や堂の仏をいくつか預かる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村如意山華渓院華光禅寺釈迦如来曹洞宗天祐貴公大居士資料に記載なし資料で食い違います唐津の大守が母のために建てたという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村昌隆山長徳寺薬師如意山の末花林曇座元と伝える天正五年(1577 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村本城山長栄寺大御堂地蔵如意山の末明窓長霊座元と伝える文明三年(1471 年)の開基六人衆の合戦のとき堂が焼けたと伝える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村永竜山平山寺地蔵資料に記載なし天佐と伝える長享二年(1488 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村海岩山喜翁寺釈迦資料に記載なし源長法印慶長元年(1596 年)の草創日高甲斐守の遺骨をおさめて建てたという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村長宇山本勝寺不動神岳山の末資料に記載なし資料に記載なし本尊は行基の作という。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村齢亀山寿福寺阿弥陀資料に記載なし高峯と伝える永禄三年(1560 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村万年山長松院観音資料に記載なし好雲と伝える天正九年(1581 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村金水山江釣院資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし弘化三年(1846 年)の鋳替鐘を近世に鋳直している。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村古若山宝樹庵聖観音資料に記載なし霊光院宝聚英三大姉と伝える永禄元年(1558 年)の死古若殿の自筆がいまも本寺にあるという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村林鐘庵不動如意山の末浄因座元と伝える天文三年(1534 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村法幢庵薬師如意山の末義翁と伝える寛正四年(1463 年)の開基帳面は本尊を十一面観音と記す。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
武生水村瑞光山水月庵聖観音瑞岩寺の末黙堂和尚元禄二年(1689 年)の開闢平戸の寺の末で、開かれた年が知れる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
渡良村久石山西福寺弥陀資料に記載なし天南和尚と伝える永正十四丁丑歳(1517 年)の開基古い釈迦の像は網にかかったものという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
渡良村地池山願成寺釈迦資料に記載なし聖岩と伝える慶長二丁酉歳(1597 年)の開基開基と開山を別の人とする説もある。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
渡良村安国山太平寺薬師如意山の末桃宝和尚と伝える享禄二己丑年(1529 年)の開闢山号と寺号を二度あらためている。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
渡良村巌城山西光寺薬師如意山の末明栄泉公と伝える文安三丙寅年(1446 年)の開闢大乗経が納められた菩提寺であるという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
渡良村長松山江上寺薬師資料に記載なし大儀和尚と伝える資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
渡良村補陀山円通院十一面観音資料に記載なし玉雲泉公と伝える文明十七乙巳歳(1485 年)の開基一説に「神田山」ともいう。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
渡良村無田山慈雲庵地蔵如意山の末安全久公と伝える元亀二辛未歳(1571 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部
半城邑吉祥山万年寺釈迦如意山の末幼庵和上と伝える天正十九年(1591 年)の開基もとは「松岩院」といい、のちに寺号を改めた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十五 石田郡半城邑之部
半城邑蓬萊山祥雲寺聖観音如意山の末宝山珍和尚応永元年(1394 年)の開基もとは「長福寺」といい、中ごろ寺号を改めた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十五 石田郡半城邑之部
半城邑御津山慶福院地蔵如意山の末資料に記載なし資料で食い違います資料に記載なしひらいた人について、資料が二とおりを載せる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十五 石田郡半城邑之部
物部村宮原山瑞雲寺地蔵菩薩資料に記載なし殺心和尚と伝える資料に記載なし精舎は十王堂を兼ねる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村戸田山善徳寺阿弥陀資料に記載なし心翁僧と伝える慶長十七年(1612 年)の開基脇士の多門はいまは無い。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村柳田山法要寺聖観音如意山の末宝山珍和上と伝える応永十一年(1404 年)の開基田の中に鷹狩の茶屋の跡と伝える屋敷がある。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村桜江山金谷禅寺釈迦如意山の末異雪和上弘治元年(1555 年)の開基赤銅の仏が海から上がったと伝える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村海潮山西光寺観自在資料に記載なし華屋と伝える永禄十一年(1568 年)の開基いまは堂ばかりで、もとは海辺の寺と見える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村田中山薬城寺阿弥陀資料に記載なし明窓と伝える文明九年(1477 年)の開基寺産は減って四斗となった。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村神社山宗音院観音資料に記載なし智岩と伝える文禄三年(1594 年)の開基脇士の一体は近くの寺に寄宿する。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
物部村若宮山雲秀院文珠資料に記載なし幻庵和尚と伝える天正元年(1573 年)の開基大旦那の名が過去帳に残る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部
住吉村虎嶽山竜養寺文珠菩薩資料に記載なし学心要悟和尚永正十三年(1516 年)の開基山の形を竜と虎に見立てて名づけたという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十七 住吉村之部
住吉村坪見山自徳庵虚空蔵如意山の末大林浄慶坐元と伝える延徳三年(1491 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十七 住吉村之部
住吉村長谷山宝泉庵聖観音如意山の末林翁和尚大永七年(1527 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十七 住吉村之部
長嶺村茲雲山古渓寺釈迦如意山の末資料に記載なし資料で食い違います資料に記載なし波多隆の母の牌所であるという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部
長嶺村萩尾山玉泉寺薬師如意山の末寒窓静安和尚資料に記載なし十二神将にまつわる不思議が語り伝えられる。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部
長嶺村野岳山高峯蜜寺不動資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし本尊は弘法の作という説がある。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部
長嶺村宝樹院虚空蔵資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部
長嶺村長嶺山珠覚院文珠如意山の末芳庵と伝える天正元 癸酉年(1573 年)の開基国守から寺産の証状を賜わったという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部
黒崎村堀気山福性寺不動真言宗/神岳山の末資料に記載なし資料に記載なし本山の過去帳に第一世の名が載る。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部
黒崎村中丘山高源禅院阿弥陀如意山の末猷山石随大和尚享保十六年(1731 年)の入寂山号はもと「中丘山」といった。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部
黒崎村福泉坊観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしむかしは寺であったと古い書が記す。資料は絶えたと記します『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部
立石村亀鶴山安楽寺地蔵資料に記載なし明室和尚資料に記載なし開山が入定した所が、いまも語られる。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村妙喜山源長寺観音如意山の末文明和上永禄五年(1562 年)の開闢満福寺の本尊であったという仏を預かる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村白花苅田院覚音寺資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし国主からの知行の寄附状が四通ある。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村補陀山観世音寺聖観世音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしもとは「梅香庵」といい、寺が移って名が替わった。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村温泉山医王院薬師如来資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし祠堂の本尊は金の阿弥陀である。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村竜谷院虚空蔵如意山の末釈菊淵天文三年(1534 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村妙喜庵虚空蔵菩薩如意山の末文忠文禄二年(1593 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村梅香庵地蔵資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村法林庵観音如意山の末釈竹室慶長十一年(1606 年)の開基本尊はいま古渓寺に寄宿している。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村高峯山寿慶庵虚空蔵如意山の末照隣和尚天正十二年(1584 年)の開基『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
立石村聖蔵坊不動資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部
布気村白石山慈眼院十一面観音大淵山竜蔵寺の末盛安上座資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部
布気村谷上山長寿院延命地蔵資料に記載なし今慶和尚と伝える資料に記載なし古い田帳に名があり、開基より前からあったと見える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部
布気村堀川山福泉庵釈迦大淵山の末林公上座と伝える資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部
本宮村医王山報恩寺薬師如来資料に記載なし桂室和尚と伝える元弘元年(1331 年)の遷化『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部
本宮村竜上山西方寺阿弥陀大淵山の末一貞和尚資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部
本宮村本宮山宗蓮院観音大淵山竜蔵寺の末異雪慶珠和尚と伝える資料に記載なし雲板の銘に院の名が刻まれている。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部
本宮村聞法山瑞雲庵釈迦竜蔵寺の末一貞和尚資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部
可須村医王山三光寺薬師如来大淵山竜蔵禅寺の末天山瑞石和尚文明二年(1470 年)の開基対馬の宗弥八郎が果てた堂の跡だと伝える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村地命寺地蔵菩薩神岳山の末資料に記載なし資料に記載なし開基は知られないと帳面が記す。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村安養山東光寺阿弥陀如来老松山安国海印禅寺の末宗々悦和尚資料に記載なし古い帳面は建立の年が知られないと記す。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村志賀山能満寺虚空蔵菩薩真言宗資料に記載なし資料に記載なし対馬の国守から白銀を賜わり、山号を改めたという。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村聖母山神皇寺阿弥陀如来真言/神岳山の末頼秀と伝える天正八 庚辰 年(1580 年)の中興本尊は秘仏で、長さも知られない。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村堂塔山向陽庵薬師資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村如意庵観音菩薩資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし庵が倒れたのち、本尊は近くの寺へ移された。資料は絶えたと記します『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
可須村普陀山須仙庵十一面観音資料に記載なし盛林和尚と伝える康和元 壬戌 年(1099 年)の開基もとは北久保にあり、いつ移ったかは伝わらない。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部
新庄村神岳山本宮寺釈迦資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし本堂の本尊は不動で、金の釈迦は別所から来たと見る。読み物で詳しく『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村若宮山金蔵寺地蔵真言/神岳山の末重仙法印元亀三 壬申 年(1572 年)の中興国印の寄附状で寺産十石を与えられた。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村一乗院地蔵神岳山の末資料に記載なし資料に記載なし本寺の脇坊のひとつである。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村万福院阿弥陀資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村不動院地蔵神岳山の末暹紹と伝える慶長二 丁酉 年(1597 年)の中興帳面には「無動院」とも記される。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村宝持院地蔵菩薩資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村覚久院釈迦大淵山の末芳山和尚と伝える資料に記載なし帳面には「加久院」とも記される。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村釈迦院資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし本尊が本宮寺の釈迦かどうかを疑っている。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村雲岫山興禅院千手観音資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村奥坊弘法大師資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしいちど絶えたのち、近世に再興した。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
新庄村実相坊阿弥陀資料に記載なし資料に記載なし資料に記載なしこれも本寺の脇坊のうちである。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部
箱崎村明王山見性寺不動明王資料に記載なし景巴勤和尚と伝える資料に記載なし『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部
箱崎村春延山暦応寺地蔵菩薩資料に記載なし東安禅師資料に記載なし境内の堂は阿弥陀堂である。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部
箱崎村江月山永光禅寺阿弥陀資料に記載なし風外和上資料に記載なし浦の眺めがよく、山号がよくかなうという。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部
箱崎村澄月山高源禅寺如意輪観音老松山の末天祐和尚と伝える資料に記載なし山主が川童を捕らえたという話が伝わる。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部
箱崎村世度山長徳禅寺 東泉院阿弥陀如来資料に記載なし資料に記載なし天正十一年(1583 年)の造立堂は赤尾から二度移されたと伝える。『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部
出典: 『壱岐名勝図誌』1861 年(当方が現代語に起こしたもの)

資料で食い違うもの(4 件)

どちらかを正しいことにはしていません。資料の書きぶりをそのまま並べます。

初島山南明寺ーひらいた年

  • 慶長年間のころという説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十二 石田郡初山村之部
  • 明応元年(1492 年)という説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十二 石田郡初山村之部

如意山華渓院華光禅寺ー開山が世を去った年

  • 元徳二年(1330 年)という説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部
  • 正安のころという説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部

御津山慶福院ーひらいた人

  • 花陰妙栄大姉という説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十五 石田郡半城邑之部
  • 雪岩和尚という説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十五 石田郡半城邑之部

茲雲山古渓寺ーひらいた人

  • 文翁永訓和尚という説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部
  • 古渓妙泉大禅定尼という説(『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十八 石田郡長嶺村之部

この一覧の作り方

名も本尊もひらいた人も、人が資料を読んで写しました。「寺」という字だけを機械に拾わせると、田の名も岬の名も拾ってしまうからです。写した一文が資料の本文にその字のまま出てくることは、機械が資料と突き合わせて確かめています。

読み取れない字を含む文からは採っていません。当方の写しは活字の翻刻を機械で読んだものなので、判読できなかった箇所が残っています。その印を含む文は根拠にしていません。そのため、資料に項のある寺でもここに載せていないものがあります。

資料が伝聞として書いているものは、伝聞のまま出します。「開基は詳らかでない」と書いてある項からひらいた人を立てることは、機械の側で止めてあります。年についても、その年が開基の年なのか遷化の年なのかを欄に書き分けています。

壱岐島とはへ城跡と烽火へ地名の由来へ島の年表へ史料からの読み物へ幕末の二十四か村の表へ

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