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地名の由来
鰐に追われた鯨が隠れ伏したから鯨伏。神が「夜が更けた」と言った所だからふけ川。市場の馬を洗ったから馬洗川。幕末の地誌は、こうした名の起こりを村ごとの巻に書き留めています。けれども地名から引く道がありませんでした。ここに置いたのは、その由来を人が読み取って並べ直した 86 件です。
名の起こり(86 件)
| 地名 | 名の起こり | 名の重なるいまの場所 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 借水 | 旱魃のたびに近くの里が競って借りに来た井だからだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部 |
| 清浜 | 白い砂の浜がまことに清らかなので、そう名づけたという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部 |
| 芦辺 | 焼失が打ち続いたので「豊浦」の名を改めたものだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部 |
| 諸吉 | 村の清浜が「清し」「水よし」の二つを兼ねるからだ、という説を引く。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二 壱岐郡諸吉村之部 |
| 冠丘 | 社の神がこの尾にあがって脱ぎ捨てた冠が石になったのだと古老が説く。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部 |
| 射辻 | 矢作尾で作った矢を北へ射て、その矢が落ち留まったところだと古老が伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部 |
| 川北 | 田河の北にある村だからであろうかと『続風土記』を引いて記す。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部 |
| 御手水井 | 日吉山王が神崎からあがったとき、この井の水で手を洗ったといい伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部 |
| 神崎 | 日吉大明神が比叡山から海辺の一の瀬へ着いたところだと土地の人が伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部 |
| 鎧畠 | 日吉の神が神の崎に着いたとき、ここで鎧を脱いだと伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之三 壱岐郡川北村之部 |
| 腰かけ石 | 国分天神がこの地に来て腰をかけた石だと古老が伝える。読み物で詳しく | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之四 壱岐郡中郷村之部 |
| 遠見岡 | 筑前と肥前の山々まで海上はるかに見渡せるからであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之四 壱岐郡中郷村之部 |
| 一銭替 | 松苗一本につき一銭を与えて植えさせた山であることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部 |
| 仏淵 | むかし深い淵で、ときどき仏のようなものが現れたからだと村人が話す。読み物で詳しく | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部 |
| 当田 | もとは海浜の波潮に石垣を築いた新田で、「潮田」であろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部 |
| 柴神 | 道祖神で、往来の人が柴を折って手向けることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之五 壱岐郡国分村之部 |
| 御神岳 | 神迎えの神楽を奏したところだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之六 壱岐郡湯岳村之部 |
| 津合橋 | 両郡のあいだが海だったころの渡し場の津だったところだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之七 深江村之部 |
| 杉谷 | むかし杉があったからであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之八 石田郡筒城村之部 |
| 錦浜 | 錦の御衣を干したところだと社の縁起が説く。 | 錦浜海水浴場 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之八 石田郡筒城村之部 |
| 印通寺 | 投げた箭が十城別王を射通したところで、もとは「射通」と書いたという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部 |
| 名護屋 | その矢を投げた地で、もとは「なげや」と呼び、いまの呼び方は訛りである。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部 |
| 妻嶋 | 衣通姫の社があることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部 |
| 衣浦(きぬがうら) | 天神が海浜の石に衣を干したところで、いま「君ヶ浦」と呼ぶのは訛りだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之九 石田郡石田村之部 |
| 池田 | むかし村じゅうに池が多く、年月を経て埋まり田になったことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十 石田郡池田村之部 |
| 久喜 | 石にあがって矢を射た故事により、もとは「九鬼浦」と書いたという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部 |
| 人田橋 | 橋を掛けるとき初山から酒餅を二駄運んだので「二駄橋」といったと里の老人が伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部 |
| 志原 | 村の野原が広平で紫草がよく茂ったので「紫原」と名づけたことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部 |
| 馬洗川 | 市場の馬を洗ったところだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部 |
| 鳥山 | 名義は詳らかでないが、雌鳥原に近いので雄鷲が飛び来たところであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十一 石田郡志原村之部 |
| 津甫 | 入江のかたちが壺のようなので「坪」と名づけたのであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十二 石田郡初山村之部 |
| 常磐の水 | 増しも減りもしない清水であることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部 |
| 本居浦(もとゐ) | 村の海浜のとくに曲江の深いところなので、もとは「江の浦」であろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部 |
| 馬立(またて) | 三韓征伐のとき人数の馬を立てたところだと里の老人が伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十三 武生水村之部 |
| 契来 | 通ってきた人が別れぎわに「いずれの夜も来る」と契ったところだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部 |
| 本綿浦 | はじめて綿を積んだ船が着いた津だという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部 |
| 渡良 | どこからも舟で渡って通う村だから「わたり村」と呼んだのが訛ったのであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部 |
| 神楽(かんべと) | 官軍が着いて神楽を奏し神を祭ったところで、いまは「柏」と書く。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十四 石田郡渡良村之部 |
| 御津 | 住吉大明神が着いた船着き場なので敬ってそう名づけたという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十五 石田郡半城邑之部 |
| 桜江 | むかし曲江で、岸の桜の影が江に映っていたからだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部 |
| 物部 | 村に物部布都神社があることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部 |
| 鉢形嶺 | 嶺のかたちが兜の鉢のようであることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十六 石田郡物部村之部 |
| 軍越神 | この神の通力が敵国に発越して防いだからだと社の記が説く。 | 軍越神社 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十七 住吉村之部 |
| 鯨伏 | 鰐に追われた鯨が走り来て隠れ伏したところだという。読み物で詳しく | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十七 住吉村之部 |
| 国分岳 | 神が波の音を聞いて国分へ移り鎮まったことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部 |
| 長藤山 | むかしここに名藤があったからだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部 |
| 阿普 | 海へ臨む滝が高く危ういので「あぶなし」から出たのであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部 |
| 黒崎 | 阿普や小島・唐舩の崎がもっとも黒いからであろうと『続風土記』を引いて記す。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部 |
| 黒瀬 | 瀬の色が黒いことによる。村の名もこれらから出たのであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之十九 石田郡黒崎村之部 |
| 加良神 | 破損した唐舟の船魂を斎き祭ったことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部 |
| 果津 | 馬を捕ろうとした河童が逆に引き殺され「はつるる」と言ったからだという。読み物で詳しく | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部 |
| 百間馬場 | 竪が百間余の平地で、まことによい馬場だからであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部 |
| 立石 | 紀州から持って来た紫石を山端の高岸に立てたところだという。 | 立石神社 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部 |
| 経丘 | いずれの代か、丘の頂に経を埋めたからだという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十 壱岐郡立石村之部 |
| ふけ川 | 神が小川の渡りで「夜が更けた」と言った所で、これが村の名になったという。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 二の坂山 | 布気と片山の二つの坂があることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 戸板原 | 原のかたちが戸板のようだからだと村里で言う。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 火焼丘 | むかしこの丘に千把の茅を積んで放火の設けとしたからだと里民が言う。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 牛か城 | 囲まれて用水が尽き、精米を浴びせて水があると見せかけたからだと言い伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 茶屋本山 | 巡察使が長途の足をやすめる茶店をここに設けたことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 釜蓋 | 田の中の石のかたちが釜の蓋のようであることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 鬢掻瀬 | 水神社の神が浜に着き、石に腰をかけて鬢を掻いたところだと言い伝えている。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十一 壱岐郡布気村之部 |
| 双六 | 対馬から双六を打ちに来た者に堂主が賭け負けたところだと村民が言う。読み物で詳しく | 双六古墳 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部 |
| 嶽城 | 西北が滝で高さ二十間ばかりの険阻な岳だからであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部 |
| 本宮 | 八幡大神宮の鎮座によるとも、和泉守の領地によるともいい、決めていないという。 | 本宮八幡神社 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部 |
| 神舞場 | むかし神楽のあったところだと村民が言う。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部 |
| 竜王崎 | 海神が鎮座する地であることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部 |
| 軍場野 | 高麗の賊兵と吾が国の兵とが攻め戦ったところだと村民が言う。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十二 壱岐郡本宮村之部 |
| 勝本 | 三韓に勝ったことを悦んで名づけたことによる。 | 勝本城跡 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部 |
| 口細浦 | 浦の口がわずか十間ばかりで、袋の口をくくったかたちであることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部 |
| 可須 | 筑前粕屋郡の「糟」の字を仮名書きにしたものであることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部 |
| 寝島 | むかし百合若大臣が昼寝したところだと伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部 |
| 若宮嶋 | 若宮大明神が鎮座する地であることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部 |
| 風本 | 東風の吹き送る方を「風早し」と讃えて名づけたことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十三 壱岐郡可須村之部 |
| 古社山 | 筥崎八幡宮が中葉ここに鎮座し、元禄年中に筥崎へ還ったことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部 |
| 新庄 | 乱世のとき筥崎と可須の両村を割って新たに里をなしたことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部 |
| 簾掛山(すだれかけ) | 筥崎と新城の合戦のとき大将の陣として簾を掛けたところだと村民が言う。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十四 壱岐郡新庄村之部 |
| 五日田 | 八幡大神の五月五日の御供田であることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 五百鳩 | 鳩鴒が五百ばかり飛び来て仰いだところだと縁記が説く。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 東石尾 | 尾の上に大きな磐石が多いことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 瀬戸浦 | 立上の崎を巡って中崎のあたりまで入津するところだからであろうとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 番石 | 野犬から牧の馬・牛を守るため、傍らに小屋を営んで番をしたからだと伝える。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 箱崎 | 応神天皇の胞衣を箱に納めて埋め、上に松を植えて標としたことによる。 | 箱崎八幡神社 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 赤瀬 | 湍瀬がみな赤いことによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 陰嶽(めだけ) | 陽嶽に相対しているからであろうか、岳の上に天鈿女命が鎮座するからかとする。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |
| 鶴丘 | 山のかたちが鶴のようであることによる。 | この索引からは結べません | 『壱岐名勝図誌』1861 年 巻之二十五 壱岐郡箱崎村之部 |