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島の神社の年表

社ごと、祭神ごと、例祭の月ごとには引けても、年で引く道がありませんでした。ここに置いたのは、当方が現代語に起こした資料から年の分かる出来事だけを抜き出して、時間の順に並べ直した 135 行です。いちばん古いのが 630 年、いちばん新しいのが 1902 年。53 社が名前で結んであります。

並んでいるのは資料がそう書いていることで、いまの姿ではありません。資料の側が取り違えている出来事もありえます。年の分からない出来事は入れていません ―― 「中世に」「昔」としか書かれていないものを、推し量って年に置き直すことはしません。

年表(135 行)

和暦は資料の書き方をそのまま、西暦は当方が添えたものです。出典は行ごとに、どの本の何年の記述かを出しています。

西暦和暦出来事出典
630 年舒明天皇二年筑紫の怡土県で求めた神石の一片を月讀神社へ納めたと『懐中暦』が伝える月讀神社『壱岐国神社誌』1941 年
664 年天智天皇三年対馬と筑紫とともに島へ防人と烽が置かれる『壱岐名勝図誌』1861 年
721 年養老五年異敵の襲来に霊験があったとして勅使が派遣され、聖母宮が再興される聖母宮『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
761 年天平宝字五年鎮西五社の再興に聖母宮が入る聖母宮『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
769 年神護景雲三年田部直恩磨が島守になる『壱岐名勝図誌』1861 年
772 年宝亀三年対馬へ年の食糧を送る船が逆風で壊れ、積んだ穀を流す『壱岐名勝図誌』1861 年
773 年宝亀四年島と対馬の卜部が、宇佐八幡の託宣の真偽を占うよう命じられる『壱岐名勝図誌』1861 年
787 年延暦六年豊前国宇佐から白沙八幡神社が勧請されたと社記が伝える白沙八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
802 年延暦二十一年月讀神社がはじめて大社の列に加えられる月讀神社『壱岐国神社誌』1941 年
811 年弘仁二年日輪の神託を受けて水神社が鎮座したと伝える水神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
828 年天長五年壱岐直才磨が国造に任じられる『壱岐名勝図誌』1861 年
835 年承和二年大宰府が、島の徭人三百三十人に武器を持たせ十四か所の要害を守らせたいと願い出て許される『壱岐名勝図誌』1861 年
838 年承和五年太政官符に、島から上がった申し状が引かれる『壱岐名勝図誌』1861 年
850 年嘉祥三年角上神社が官社に列せられる角上神社『壱岐国神社誌』1941 年
850 年嘉祥三年詔により天手長男神と天手長比咩神が官社に準じるものとされる天手長男神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
851 年仁寿元年水神社が正六位上の位を授けられ、以後たびたび神階を進められる水神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
859 年貞観元年『三代実録』に、海神へ従五位上を授けたとある海神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
870 年貞観十二年朝廷が島へ胄と平胡簶をそれぞれ二百具ずつ充てる『壱岐名勝図誌』1861 年
871 年貞観十三年島の兵庫の鼓が鳴ったと大宰府が報じる『壱岐名勝図誌』1861 年
877 年元慶元年大嘗会の供えのため中臣と忌部の両氏が派遣され、幣帛を分けられる水神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
878 年元慶二年格により、弩師を置く期間が五年を限りと定められる『壱岐名勝図誌』1861 年
1019 年寛仁三年島を預かる者が殺される『壱岐名勝図誌』1861 年
1025 年万寿二年旅の僧が竜穴で雨を乞い、慈雨が降ったと古老が伝える龍淵神社『壱岐国神社誌』1941 年
1185 年文治元年諸国へ守護が置かれ、島の治め方が二重になる『壱岐名勝図誌』1861 年
1185 年文治元年平家追討の祈りにより海神社が神階一階を加えられる海神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1193 年建久四年源頼朝が国ごとに若宮を勧請したときの創建だと社記が伝える若宮神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1219 年承久元年武藤資頼が筑後守と大宰少弐に任じられる『壱岐名勝図誌』1861 年
1274 年文永十一年文永の襲来の記録が残る『壱岐名勝図誌』1861 年
1281 年弘安四年『吉野家譜』が弘安の戦いの記事を伝える『壱岐名勝図誌』1861 年
1328 年嘉暦三年助有法親王が夢のお告げを受け、彦山の神を島の三つの山へ移したと縁起が伝える白山神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1341 年暦応四年大石神社の創立と伝える大石神社『壱岐国神社誌』1941 年
1373 年文中二年寄八幡神社の勧請と『神社帳』にある寄八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年
1435 年永享七年「神楽舞人数のこと」に二十五人の舞い手の名が並ぶ『壱岐神社誌』1926 年
1454 年享徳三年中津神社の遷宮が社家の系譜に残る中津神社『壱岐国神社誌』1941 年
1465 年寛正六年池田八幡神社がすでに勧請されていたことが社記から分かる池田八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年
1472 年文明四年波多氏の領有となり、島じゅうの神職に決まった年中の勤めができる『壱岐神社誌』1926 年
1485 年文明十七年山浦神社の社職を務めた松本藤左衛門吉家が没する山浦神社『壱岐国神社誌』1941 年
1493 年明応二年流八幡神社の再建の棟札に「香須仲郷八幡宮」とある流八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年
1509 年永正六年天満神社の御殿を建て替える天満神社『壱岐国神社誌』1941 年
1524 年大永四年深江神社の造営の棟札が残る深江神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1532 年天文元年椎木神社を再建し、波多壱岐守の押し字が残る椎木神社『壱岐国神社誌』1941 年
1533 年天文二年吉野九郎太夫藤原末春が長峰天満宮を再興する長峰天満神社『壱岐国神社誌』1941 年
1545 年天文十四年國津意加美神社に残る藩主の在判の棟札が、この年から始まる國津意加美神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1555 年弘治元年島の人が主の隆を殺す『壱岐名勝図誌』1861 年
1562 年永禄五年國片主神社の宝殿再建の棟札に「天満宮」とある國片主神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1563 年永禄六年老臣の日高喜が島と上松浦を松浦隆信に付ける『壱岐名勝図誌』1861 年
1566 年永禄九年興神社の再建の棟札に藩主の在判が残る興神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1571 年元亀二年松浦氏の領有となる『壱岐神社誌』1926 年
1583 年天正十一年山浦神社の再建の棟札に守護日高甲斐守の押し字が残る山浦神社『壱岐国神社誌』1941 年
1592 年文禄元年朝鮮へ渡る軍船が初瀬浦に留まり、兵が鏡岳神社の社前の崖から石礮を投げ落とす鏡岳神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1595 年文禄四年爾自神社の宝殿造立の棟札に「東風大明神」とある『壱岐名勝図誌』1861 年
1601 年慶長六年天道神社に残る棟札が、この年から始まる天道神社『壱岐国神社誌』1941 年
1607 年慶長十二年帳面に社家領として田畠屋敷四町三反余と記される『壱岐名勝図誌』1861 年
1609 年慶長十四年鏡岳神社の宝殿改築の棟札に日高玄蕃が署名する鏡岳神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1617 年元和三年藩主隆信が鏡岳神社へ社領二石の寄進状を出す鏡岳神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1628 年寛永五年山浦神社の建て替えで二十三か村と七か浦から米三十俵を集める山浦神社『壱岐国神社誌』1941 年
1630 年寛永七年高御祖神社の棟札にはじめて社号と神主の名が見える高御祖神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1636 年寛永十三年平神社が可須坂本へ勧請される平神社『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1639 年寛永十六年小林神社を再建する小林神社『壱岐国神社誌』1941 年
1640 年寛永十七年荒波賀の社の棟札で「蓬宮」と書いたものはこの一枚だけである『壱岐名勝図誌』1861 年
1646 年正保三年八坂神社の内殿と上屋を建て、木彫りの神像を安置する八坂神社『壱岐国神社誌』1941 年
1648 年慶安元年鏡岳神社の上宮の社地が崩れ、いまの場所をならして移す資料で年が食い違います鏡岳神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1650 年慶安三年丘坂神社の勧請と伝える丘坂神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1652 年慶安五年野保佐神社の御殿を建て替える野保佐神社『壱岐国神社誌』1941 年
1654 年承応三年小林神社の造営の棟札に藩主松浦肥前守の名が見える小林神社『壱岐国神社誌』1941 年
1656 年明暦二年藩が佐肆布都神社の社前の入り江を塞いで新田を開こうとし、堤が夜ごとに崩れる佐肆布都神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1657 年明暦三年亀丘神社の勧請と資料が記す亀丘神社『壱岐国神社誌』1941 年
1658 年万治元年飢饉で本宮の木を伐ったところ内殿の扉が割れたという話が伝わる本宮八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年
1660 年万治三年籤を引いて池田の社を八幡宮と称することにする池田八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年
1660 年万治三年島の祠官がはじめて京へ上り、唯一神道の神道裁許状を得て帰る『壱岐神社誌』1926 年
1661 年寛文元年平戸の網屋惣左衛門が恵美須浦の塩津明神の石祠を建てる『壱岐名勝図誌』1861 年
1663 年寛文三年可須西戸の大神宮神社が勧請される大神宮神社『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1666 年寛文六年佐肆布都神社へ約束どおり神領が寄附される佐肆布都神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1668 年寛文八年国主の名代 樋口源五衛門が石田天満神社へ社参する石田天満神社『壱岐国神社誌』1941 年
1672 年寛文十二年林道が前長谷の里人と相談してタヲ山に社を建てる日子神社『壱岐国神社誌』1941 年
1673 年寛文十三年高御祖神社の石鳥居が建つ高御祖神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1674 年延宝二年悪疫を除く祈願のため素佐之男神社が鎮座する素佐之男神社『壱岐国神社誌』1941 年
1676 年延宝四年橘三喜の進言による式内社の査定の結果が出る『壱岐神社誌』1926 年
1676 年延宝四年天手長男神社の社地から古い鏡が三面掘り出される天手長男神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1676 年延宝四年河原神社が、延喜式に登録が無いという理由で式外社と認定される河原神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1676 年延宝四年三上大明神が式内の見上神社と査定される見上神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1677 年延宝五年鉢形の頂の土中から碑石が掘り出される天手長男神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1679 年延宝七年天手長比賣神社の社地から鏡三面が現れたと棟札の文が記す天手長比賣神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1681 年延宝九年石額と社号をふたたび取り替える『壱岐名勝図誌』1861 年
1681 年天和元年災いが続いたため、藩の命で碑石をもとどおり埋め戻す天手長男神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1687 年貞享四年参籠の慣わしを祠官が京都の吉田家へ訴え、帰国して改める鏡岳神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1688 年元禄元年天手長男神社ではじめて宝殿と拝殿の造営がある天手長男神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1692 年元禄五年『神社帳』に上池田の七郎権現が載る七郎神社『壱岐国神社誌』1941 年
1695 年元禄八年若宮神社の石鳥居まで六度の造営を『吉野氏系譜』が書き留める若宮神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1698 年元禄十一年城代から、土御門家の掟に背いてはならないと申し渡される『壱岐神社誌』1926 年
1700 年元禄十三年大地震で嶽の上の社地が崩れ、いまの場所をならして造営を始める資料で年が食い違います鏡岳神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1706 年宝永三年八坂神社の氏子中で石鳥居を建てる八坂神社『壱岐国神社誌』1941 年
1707 年宝永四年藩主松浦棟が住吉神社へ矛二本を奉献する住吉神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1709 年宝永六年棟札にはじめて「国片主神社」と書かれる國片主神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1715 年正徳五年吉田家の宗源宣旨で正一位を授かる兵主神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1719 年享保四年信使の滞留にあたり、爾自神社で社家八人が参籠して大神楽を奏する爾自神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1722 年享保七年彌佐支刀神社の拝殿に「忠孝」の横額を掛ける彌佐支刀神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1723 年享保八年覩上神社の神幸の願いがかなう覩上神社『壱岐国神社誌』1941 年
1724 年享保九年高御祖神社を再興する高御祖神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1728 年享保十三年八坂神社の宝殿から拝殿までを建て替える八坂神社『壱岐国神社誌』1941 年
1735 年享保二十年天満神社の拝殿を建て替え、藩主誠信の名が残る天満神社『壱岐国神社誌』1941 年
1738 年元文三年住吉神社の御殿と拝殿と御饌殿がことごとく炎上する住吉神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1739 年元文四年宗源伝授を受けた社家に、惣社人の上座たるべしと申し渡される『壱岐神社誌』1926 年
1740 年元文五年村の名が鯨伏からふたたび住吉へ復す『壱岐名勝図誌』1861 年
1746 年延享三年「興神社」と記した棟札が現れる『壱岐名勝図誌』1861 年
1748 年延享五年爾自神社で同じ順風の祈願がある爾自神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1763 年宝暦十三年逆風の足止めに十人で大神楽を奏し、三日に出帆できる爾自神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1769 年明和六年朽ちた社を建て直す天手長男神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1770 年明和七年寄八幡神社で神輿の神幸が始まる寄八幡神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1770 年明和七年比賣神社が国主の代参を願い出て許される比賣神社/登比川神社『壱岐国神社誌』1941 年
1773 年安永二年天道神社に残る棟札が、この年で終わる天道神社『壱岐国神社誌』1941 年
1775 年安永四年棟札にはじめて「兵主神社」と書かれる兵主神社『壱岐名勝図誌』1861 年
1807 年文化四年「興神社」と記した二枚目の棟札が残る『壱岐名勝図誌』1861 年
1821 年文政四年改め帳の写しに、西国の裁許状が銀二枚と記される『壱岐神社誌』1926 年
1844 年天保十五年國津意加美神社のいまの社殿が建つ國津意加美神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1845 年弘化二年城山稲荷神社の木造の社殿を建てる城山稲荷神社『壱岐国神社誌』1941 年
1848 年嘉永元年吉永上総が国津意加美神社の祠官の継目を願い出る『壱岐神社誌』1926 年
1850 年嘉永三年松浦熈が後藤正足に島の地誌を作れと命じる『壱岐名勝図誌』1861 年
1852 年嘉永五年地誌が、中津の造替をこの年から数えて三百九十八年前と書く『壱岐名勝図誌』1861 年
1856 年安政三年法令免許を受けた四人の祠官が、御間内での御礼を許される『壱岐神社誌』1926 年
1861 年文久元年後藤正足が島の地誌二十五巻を仕上げる『壱岐名勝図誌』1861 年
1868 年明治元年祠官の継目を藩へ願い出る仕組みが終わる『壱岐神社誌』1926 年
1869 年明治二年彦山の総務局から島の修験へ知らせが来る『壱岐神社誌』1926 年
1870 年明治三年彦山から、僧をやめて神職に戻れとの申し付けが届く『壱岐神社誌』1926 年
1871 年明治四年島の陰陽師の仕組みが終わる『壱岐神社誌』1926 年
1871 年明治四年住吉神社が国幣中社に列せられる住吉神社『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1871 年明治四年氏子改めで池田八幡神社の氏子の区域が定められる池田八幡神社『壱岐国神社誌』1941 年
1876 年明治九年恵美須神社が事代主神社と改称する事代主神社『壱岐国神社誌』1941 年
1878 年明治十一年田嶋神社を無格社としてそのまま据え置く指令が出る田嶋神社『壱岐国神社誌』1941 年
1880 年明治十三年神社明細帳に、総社を廃絶した大国玉神社の跡とする見立てが記される総社神社『壱岐国神社誌』1941 年
1883 年明治十六年中津神社が郷社となる中津神社『壱岐国神社誌』1941 年
1889 年明治二十二年大石神社の登録が許され、無格社と定められる大石神社『壱岐国神社誌』1941 年
1894 年明治二十七年村要覧が、箱崎村の字ごとの小祠として小松原の社を挙げる小松原神社『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1899 年明治三十二年比賣神社の例祭を九月二十三日から四月三日に改める比賣神社/登比川神社『壱岐国神社誌』1941 年
1902 年明治三十五年菅公一千年大祭の記念に石田天満神社の正殿と拝殿を改築する石田天満神社『壱岐国神社誌』1941 年
出典: 『壱岐国神社誌』1941 年/『壱岐名勝図誌』1861 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年/『壱岐神社誌』1926 年(いずれも当方が現代語に起こしたもの)

資料どうしで年が食い違う出来事(1 件)

どちらが正しいとは書きません。資料の側がその食い違いを書き留めているものだけを、ここへ置いています。年を 1 つに決めたくなる場所ですが、決められないものは決めないまま出します。

鏡岳神社の社地が崩れて移った年

西暦和暦出来事出典
1648 年慶安元年鏡岳神社の上宮の社地が崩れ、いまの場所をならして移す『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
1700 年元禄十三年大地震で嶽の上の社地が崩れ、いまの場所をならして造営を始める『壱岐名勝図誌』1861 年

資料の断り: 同じ出来事の年違いなのか、別の崩落と造営なのかは、この二つからは決められない

なお、式内社の査定が行われた年についても、資料どうしで書き方が分かれることが分かっています。片方の年をどの本の記述と言えるかが決められないので、年表には入れていません。二十四座の射影は 1 つの座に三書の出典を並べており、どの書がその年を書いたのかを機械で当てられないためです。

年表に無い出来事は、資料が年を伝えていないか、当方がまだ写していないかのどちらかです。社ごとの記述は各社のページに、資料そのものの読み物は下の入口にあります。

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