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史料に出てくる人から引く
当方が現代語に起こした史料は、社ごと・年ごと・地名ごとには引けても、名から引く道がありませんでした。同じ人が神社の解説にも、幕末の記録にも、大正の記録にも、読み物にも出てきます。ここに置いたのは、面をまたいで出てくる 15 の名と、その 72 件の出どころです。
名から引く(15 件)
後藤正足
―同じ名を一人と決めていません資料が書く年は 1850 年から1926 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 大正の記録 | 箱崎八幡神社 | 明細帳の三神を月読と高御祖の神に当てて整理する | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 聖母宮 | 名家が一時絶えたことを惜しむと書く | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 國津意加美神社 | 先に思いついた説が図誌にもあると気づいたことを書き添える | 1921 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 兵主神社 | 額を移した理由が伝わらないと書く | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 新城神社(樋詰城跡) | 戦死した国守も配祀されていると記す | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 阿多彌神社 | 阿多彌の名を温泉の意味と見る | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 文久元年の壱岐 | 島の地誌を作れと命じられる | 1850 年 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 壱岐の郡は大郡というべし | 二つの郡の大きさに目を留める | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 延宝の査定が決めたこと | 延宝の査定を手放しでは評価しない | 1926 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 神楽の名簿は一四三五年から | 神楽の名簿を書き留める | 1926 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 島を治める人が入れ替わる | 領内で神職を勤めた人だと記される | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 国府が置いた社 | 惣社の成り立ちを見立てる | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 社を継ぐには京へ上る | 二通の文書を見比べて出どころを見立てる | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
鎮信
―同じ名を一人と決めていません資料が書く年は 1628 年から1676 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 神社の解説 | 興神社 | 興神社へ木鏡と石額を奉納する | 1676 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 手長比賣神社 | 手長比賣神社を式内社と定める | 1676 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 月讀神社 | 月讀神社へ石の祠と木鏡を寄進する | 1676 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 神社の解説 | 志自岐神社 | 志自岐神社の宝殿再建の棟札に在判が残る | 1674 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 石田天満神社 | 鷹狩りのときに浦の名が改まる | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 神社の解説 | 七郎神社 | 持ち帰った鐘の一つが七郎神社へ寄進されたと伝わる | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 神社の解説 | 天道神社 | 天道神社の棟札に判が残る | 1628 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 神社の解説 | 河原神社 | 河原神社の宝殿再建の棟札に在判が残る | 1674 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 阿多彌神社 | 阿多彌神社へ木鏡の御正体と石額を献じる | 1676 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 幕末の記録 | 熊野神社 | 社に伝わる古い面を江戸の目利きに見せさせる | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 大正の記録 | 兵主神社 | 式内の社を査定させる | 1676 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 延宝の査定が決めたこと | 査定の進言を受ける | 1676 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 同じ日に配られた末寺の名簿 | 寺へ宛てた証状を出す | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
神功皇后
三韓征伐に行き来したときに船を着けたと社伝が伝える一人として並べています
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 神社の解説 | 住吉神社 | 住吉大神と八千戈神をみずから祭ったと社記が伝える | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 聖母宮 | 船を着けた場所だと社伝が伝える | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 天手長男神社 | 兜の鉢を納めた場所という伝えが社地の名になる | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 志自岐神社 | 射通しの地名の由来として語られる | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 爾自神社 | 順風を祈らせ、帰朝ののち風の神を祭らせたと社記が伝える | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 國津神社 | 鹿之辻の霊験により神殿が設けられたと社記が伝える | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 幕末の記録 | 月讀神社 | 月延石の話が月讀神社の項に引かれる | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 大正の記録 | 天手長比賣神社 | 旧称を手がかりに本来の祭神と説かれる | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 二十四座の考証 | 兵主神社 | 聖母社が祀る神として考証に引かれる | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 町ごと移された浦 | 帰りの船が流れ着いたという浦の名の由来に出る | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
橘三喜
平戸の神学者。失われていた二十四座の考証に手を付けた一人として並べています資料が書く年は 1676 年から1676 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 神社の解説 | 天手長男神社 | 絶えていた社の再建の経緯を石額に記す | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 神社の解説 | 津神社 | 津神社の石額に名を刻む | ― | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 幕末の記録 | 國津神社 | 神田浦に埋められていた甕を掘らせる | 1676 年 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 大正の記録 | 月讀神社 | 月讀神社の社号の当て方を惜しまれる | 1676 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 兵主神社 | 国主の命で式内の社を査定する | 1676 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 大正の記録 | 阿多彌神社 | 阿多彌神社の祭神を医薬の二神と推す | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 二十四座の考証 | 物部布都神社 | 物部布都神社の項に歌が載る | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 延宝の査定が決めたこと | 失われていた二十四座の考証に手を付ける | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
日高甲斐守
棟札に押し字が残る、当時の守護一人として並べています資料が書く年は 1583 年から1608 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 神社の解説 | 山浦神社 | 山浦神社の再建の棟札に押し字が残る資料で年が食い違います | 1583 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 神社の解説 | 深江神社 | 深江神社の宝殿造営の棟札に判が並ぶ資料で年が食い違います | 1583 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 大正の記録 | 國津意加美神社 | 判状の年をめぐって疑いが差しはさまれる資料で年が食い違います | 1608 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 町ごと移された浦 | 江浦の干潟を埋め立てて民戸を移す | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
松浦家
造営のたびの寄進の額を条目で定めた家家・氏族の名です資料が書く年は 1663 年から1676 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 神社の解説 | 中津神社 | 中津神社へ木鏡の神体と石の額を献じる | 1676 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 大正の記録 | 國津意加美神社 | 造営の寄進の額を条目で定める | 1663 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 神楽の名簿は一四三五年から | 大納戸から神職へ品が配られる | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 島を治める人が入れ替わる | 国司の来由の項の末尾でたたえられる | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
真根子
中臣烏賊津連の子で、県主と卜部の始祖になったと伝わる一人として並べています
松浦隆信
島と上松浦を付けられた人一人として並べています資料が書く年は 1563 年から1584 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 神社の解説 | 流八幡神社 | 流八幡神社の棟札に花押が残る | 1584 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年 |
| 神社の解説 | 深江神社 | 深江神社の棟札に祈る文が残る | 1583 年 | 『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年 |
| 史料からの読み物 | 島を治める人が入れ替わる | 島と上松浦を付けられる | 1563 年 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
中峰和尚
―一人として並べています
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 幕末の記録 | 安国寺 | 元の天目山で教えた僧として引かれる | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 石を返せと迫った河童 | 開山が学んだ相手として名が出る | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
藤原理忠
刀伊の襲来で戦死した国守一人として並べています資料が書く年は 1019 年から1019 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 大正の記録 | 新城神社(樋詰城跡) | 新城神社に配祀されていると記される | 1019 年 | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 島を治める人が入れ替わる | 刀伊の襲来で討たれたと日本紀略に載る | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
波多藤童丸
―一人として並べています資料が書く年は 1562 年から1562 年まで
波多家
長くは続かなかった家家・氏族の名です
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 大正の記録 | 角上神社 | 臣を討手の大将として差し向けたと横田文書が伝える | ― | 『壱岐神社誌』1926 年 |
| 史料からの読み物 | 島を治める人が入れ替わる | 島を一つにまとめたのち長くは続かない | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
桓武天皇
―一人として並べています資料が書く年は 787 年から787 年まで
松浦豊後守信実
―一人として並べています
無隠元中和尚
元へ渡って天目山の中峰和尚に学んだ人一人として並べています資料が書く年は 1339 年から1339 年まで
| 面 | 出どころ | 書かれていること | 年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|
| 幕末の記録 | 安国寺 | 安国寺の開山だと地誌が記す | 1339 年 | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |
| 史料からの読み物 | 石を返せと迫った河童 | 元へ渡って学んだ人だと伝わる | ― | 『壱岐名勝図誌』1861 年 |