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史料に出てくる人から引く

当方が現代語に起こした史料は、社ごと・年ごと・地名ごとには引けても、名から引く道がありませんでした。同じ人が神社の解説にも、幕末の記録にも、大正の記録にも、読み物にも出てきます。ここに置いたのは、面をまたいで出てくる 15 の名と、その 72 件の出どころです。

並んでいるのは資料がその名でそう書いていることで、その人の伝記ではありません。説明を書いていない名は、資料が何をした人かを書いていないか、当方がまだ写していないかのどちらかです。資料が年を書いていない出どころには、年を入れていません ―― 推し量って年に置き直すことはしません。

同じ名を、資料が別の人に使っていることがあります。そういう名は一人にまとめず、「一人と決めていません」と断ったうえで出どころだけを並べます。まとめたほうが読みやすい場所ですが、決められないものは決めないまま出します。

名から引く(15 件)

面の多い順に並べています。行の「出どころ」を押すと、その面へ移ります。出典は行ごとに、どの本の何年の記述かを出しています。

後藤正足

同じ名を一人と決めていません資料が書く年は 1850 年から1926 年まで

当方の断り: 資料はこの名を、嘉永三年に地誌を命じられた撰者と、大正十五年に神社誌をまとめた編者の両方に用いる。七十年余りを隔てた二つの立場を同じ名で呼んでいるが、同じ人かどうかを書いた資料は当方の手元にない。一人と決めずに、名の下に出てくる面だけを並べる。

出どころ書かれていること出典
大正の記録箱崎八幡神社明細帳の三神を月読と高御祖の神に当てて整理する『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録聖母宮名家が一時絶えたことを惜しむと書く『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録國津意加美神社先に思いついた説が図誌にもあると気づいたことを書き添える1921 年『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録兵主神社額を移した理由が伝わらないと書く『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録新城神社(樋詰城跡)戦死した国守も配祀されていると記す『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録阿多彌神社阿多彌の名を温泉の意味と見る『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物文久元年の壱岐島の地誌を作れと命じられる1850 年『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物壱岐の郡は大郡というべし二つの郡の大きさに目を留める『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物延宝の査定が決めたこと延宝の査定を手放しでは評価しない1926 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物神楽の名簿は一四三五年から神楽の名簿を書き留める1926 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物島を治める人が入れ替わる領内で神職を勤めた人だと記される『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物国府が置いた社惣社の成り立ちを見立てる『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物社を継ぐには京へ上る二通の文書を見比べて出どころを見立てる『壱岐神社誌』1926 年

鎮信

同じ名を一人と決めていません資料が書く年は 1628 年から1676 年まで

当方の断り: 資料はいずれも「藩主鎮信」「国主松浦鎮信」とだけ書き、何代目かを記していない。ここに並べた記録は寛永五年から延宝四年までにわたり、年の書かれていない記録には朝鮮出兵からの帰陣に触れるものもある。一人と決めずに、名の下に出てくる面だけを並べる。

出どころ書かれていること出典
神社の解説興神社興神社へ木鏡と石額を奉納する1676 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説手長比賣神社手長比賣神社を式内社と定める1676 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説月讀神社月讀神社へ石の祠と木鏡を寄進する1676 年『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説志自岐神社志自岐神社の宝殿再建の棟札に在判が残る1674 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説石田天満神社鷹狩りのときに浦の名が改まる『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説七郎神社持ち帰った鐘の一つが七郎神社へ寄進されたと伝わる『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説天道神社天道神社の棟札に判が残る1628 年『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説河原神社河原神社の宝殿再建の棟札に在判が残る1674 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説阿多彌神社阿多彌神社へ木鏡の御正体と石額を献じる1676 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
幕末の記録熊野神社社に伝わる古い面を江戸の目利きに見せさせる『壱岐名勝図誌』1861 年
大正の記録兵主神社式内の社を査定させる1676 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物延宝の査定が決めたこと査定の進言を受ける1676 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物同じ日に配られた末寺の名簿寺へ宛てた証状を出す『壱岐名勝図誌』1861 年

神功皇后

三韓征伐に行き来したときに船を着けたと社伝が伝える一人として並べています

当方の断り: 並んでいるのは資料が書き留めた言い伝えであり、出来事の記録ではない。

出どころ書かれていること出典
神社の解説住吉神社住吉大神と八千戈神をみずから祭ったと社記が伝える『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説聖母宮船を着けた場所だと社伝が伝える『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説天手長男神社兜の鉢を納めた場所という伝えが社地の名になる『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説志自岐神社射通しの地名の由来として語られる『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説爾自神社順風を祈らせ、帰朝ののち風の神を祭らせたと社記が伝える『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説國津神社鹿之辻の霊験により神殿が設けられたと社記が伝える『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
幕末の記録月讀神社月延石の話が月讀神社の項に引かれる『壱岐名勝図誌』1861 年
大正の記録天手長比賣神社旧称を手がかりに本来の祭神と説かれる『壱岐神社誌』1926 年
二十四座の考証兵主神社聖母社が祀る神として考証に引かれる『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物町ごと移された浦帰りの船が流れ着いたという浦の名の由来に出る『壱岐名勝図誌』1861 年

橘三喜

平戸の神学者。失われていた二十四座の考証に手を付けた一人として並べています資料が書く年は 1676 年から1676 年まで

出どころ書かれていること出典
神社の解説天手長男神社絶えていた社の再建の経緯を石額に記す『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
神社の解説津神社津神社の石額に名を刻む『壱岐国神社誌』1941 年
幕末の記録國津神社神田浦に埋められていた甕を掘らせる1676 年『壱岐名勝図誌』1861 年
大正の記録月讀神社月讀神社の社号の当て方を惜しまれる1676 年『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録兵主神社国主の命で式内の社を査定する1676 年『壱岐神社誌』1926 年
大正の記録阿多彌神社阿多彌神社の祭神を医薬の二神と推す『壱岐神社誌』1926 年
二十四座の考証物部布都神社物部布都神社の項に歌が載る『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物延宝の査定が決めたこと失われていた二十四座の考証に手を付ける『壱岐神社誌』1926 年

日高甲斐守

棟札に押し字が残る、当時の守護一人として並べています資料が書く年は 1583 年から1608 年まで

出どころ書かれていること出典
神社の解説山浦神社山浦神社の再建の棟札に押し字が残る資料で年が食い違います1583 年『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説深江神社深江神社の宝殿造営の棟札に判が並ぶ資料で年が食い違います1583 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
大正の記録國津意加美神社判状の年をめぐって疑いが差しはさまれる資料で年が食い違います1608 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物町ごと移された浦江浦の干潟を埋め立てて民戸を移す『壱岐名勝図誌』1861 年

松浦家

造営のたびの寄進の額を条目で定めた家家・氏族の名です資料が書く年は 1663 年から1676 年まで

出どころ書かれていること出典
神社の解説中津神社中津神社へ木鏡の神体と石の額を献じる1676 年『壱岐国神社誌』1941 年
大正の記録國津意加美神社造営の寄進の額を条目で定める1663 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物神楽の名簿は一四三五年から大納戸から神職へ品が配られる『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物島を治める人が入れ替わる国司の来由の項の末尾でたたえられる『壱岐名勝図誌』1861 年

真根子

中臣烏賊津連の子で、県主と卜部の始祖になったと伝わる一人として並べています

出どころ書かれていること出典
大正の記録彌佐支刀神社身代わりとなった人として祭神の説に出る『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物文久元年の壱岐県主と卜部の始祖になったと伝わる『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物玉塚に碑が立つまで玉主売の遠祖として系譜に置かれる『壱岐名勝図誌』1861 年

松浦隆信

島と上松浦を付けられた人一人として並べています資料が書く年は 1563 年から1584 年まで

出どころ書かれていること出典
神社の解説流八幡神社流八幡神社の棟札に花押が残る1584 年『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説深江神社深江神社の棟札に祈る文が残る1583 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
史料からの読み物島を治める人が入れ替わる島と上松浦を付けられる1563 年『壱岐名勝図誌』1861 年

中峰和尚

一人として並べています

出どころ書かれていること出典
幕末の記録安国寺元の天目山で教えた僧として引かれる『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物石を返せと迫った河童開山が学んだ相手として名が出る『壱岐名勝図誌』1861 年

藤原理忠

刀伊の襲来で戦死した国守一人として並べています資料が書く年は 1019 年から1019 年まで

出どころ書かれていること出典
大正の記録新城神社(樋詰城跡)新城神社に配祀されていると記される1019 年『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物島を治める人が入れ替わる刀伊の襲来で討たれたと日本紀略に載る『壱岐名勝図誌』1861 年

波多藤童丸

一人として並べています資料が書く年は 1562 年から1562 年まで

出どころ書かれていること出典
神社の解説國片主神社國片主神社の宝殿再建の棟札に花押が残る1562 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
幕末の記録國片主神社國片主神社の宝殿再建の棟札に花押が入る1562 年『壱岐名勝図誌』1861 年

波多家

長くは続かなかった家家・氏族の名です

出どころ書かれていること出典
大正の記録角上神社臣を討手の大将として差し向けたと横田文書が伝える『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物島を治める人が入れ替わる島を一つにまとめたのち長くは続かない『壱岐名勝図誌』1861 年

桓武天皇

一人として並べています資料が書く年は 787 年から787 年まで

出どころ書かれていること出典
神社の解説本宮八幡神社一国一か所の八幡宮を建てたと社の縁起が伝える『壱岐国神社誌』1941 年
大正の記録箱崎八幡神社詔命によって社が鎮座したと社記が伝える787 年『壱岐神社誌』1926 年

松浦豊後守信実

一人として並べています

出どころ書かれていること出典
大正の記録國津意加美神社判状の主を取り違えた相手として名が挙がる『壱岐神社誌』1926 年
史料からの読み物町ごと移された浦東の潟にも石垣を築き、下町の民戸を移す『壱岐名勝図誌』1861 年

無隠元中和尚

元へ渡って天目山の中峰和尚に学んだ人一人として並べています資料が書く年は 1339 年から1339 年まで

出どころ書かれていること出典
幕末の記録安国寺安国寺の開山だと地誌が記す1339 年『壱岐名勝図誌』1861 年
史料からの読み物石を返せと迫った河童元へ渡って学んだ人だと伝わる『壱岐名勝図誌』1861 年
出典: 『壱岐名勝図誌』1861 年/『壱岐国神社誌』1941 年/『壱岐神社誌』1926 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年(いずれも当方が現代語に起こしたもの)

資料どうしで年が食い違うもの(1 件)

どちらが正しいとは書きません。資料の側がその食い違いを書き留めているものだけを、ここへ置いています。

日高甲斐守の判が残る年

出どころ書かれていること出典
神社の解説山浦神社山浦神社の再建の棟札に押し字が残る1583 年『壱岐国神社誌』1941 年
神社の解説深江神社深江神社の宝殿造営の棟札に判が並ぶ1583 年『壱岐国神社誌』1941 年/『長崎県壱岐石田郡村要覧』1894 年
大正の記録國津意加美神社判状の年をめぐって疑いが差しはさまれる1608 年『壱岐神社誌』1926 年

資料の断り: 一方は棟札に押し字と判が残ると書き、もう一方は判状の年はありえないとする

名がここに無いのは、資料に一度しか出てこないか、当方がまだ写していないかのどちらかです。祭神の名はここに入れていません ―― 神は社のページと祭神の索引にあります。

壱岐島とはへ神社の年表史料からの読み物へ地名の由来

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